二つの「オサカ」について──【ܥܣܩ】と【ܥܫܩ】──

 古事記の中に、聊か奇妙な御名代の記事がある。「蝮之水歯別命」の御名代が「蝮部」であるのは理解できる。「葛城之曽都毘古之女、石之日売命」の御名代が「葛城部」であるのも理解できる。だが、「大江之伊邪本和気命」の御名代が「壬生部」であるのは意味不明と言うしかない。「田井之中比売」の御名代が「河部」であるのも意味不明と言うしかない。


  【仁徳記】
  ・「大后石之日売命」の御名代……「葛城部」   ※「葛城之曽都毘古之女」
  ・「太子伊邪本和気命」の御名代……「壬生部」★
  ・「水歯別命」の御名代……「蝮部」         ※「蝮之水歯別命」
  ・「大日下王」の御名代……「大日下部」
  ・「若日下部王」の御名代……「若日下部」
  ・「八田若郎女」の御名代……「八田部」
  【允恭記】
  ・「木梨之軽太子」の御名代……「軽部」
  ・「大后」の御名代……「刑部」★
  ・「大后之弟、田井中比売」の御名代……「河部」★
  【清寧記】
  ・「白髪太子」の御名代……「白髪部」


 さらに、「河部」だけでなく、「刑部」もよく分からない。允恭記の「大后」は「忍坂之大中津比売命」を指す。本来は、「忍坂部」に作ってもよかったところを、たまたま「刑部」に作った。この説明で分かったような気がするのは、「刑部」の訓みが「オサカベ」であることを既に我々が知っているからである。未だ知らない人にとっては、まったく意味不明のはずだ。


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 本項では、さしあたり、「刑部」について考察する。「オサカ」という言葉が何を意味するのか、その点が問題である。古事記旧辞部分を見ると、まず天皇が「我は一つの長き病有り。日継知らしめすこと得じ。」と天皇になることを辞するところから話が始まる。しかし、「大后」を始め、諸々の卿たちが堅く奏しあげたことに因り、即、(天皇が)天下を治めることとなった。


   天皇初為将所知天津日継之時、天皇辞而詔之、
   「我者有一長病。不得所知日継。」
   然、大后始而諸卿等、因堅奏而、乃治天下。 (※允恭記より)


 これが、「大后」(忍坂之大中津比売)に纏わる唯一の逸話である。この話の中に「オサカ」という言葉が存在するか?──存在する。シリア語の「OSQ」という動詞には、「to be obstinate」(態度が堅い)の意味があり、また、「to be ill」(病気である)の意味もある。つまり、「有病」の天皇に対し、大后が「堅奏」する。この「堅」なる態度が「OSQ」なのだ。


   元年冬十有二月、妃忍坂大中姫命、苦群臣之憂吟、
   而親執洗手水、進于皇子前。仍啓之曰、「(…中略…)
   願大王従群望、強即帝位」。然皇子不欲聴、而背居不言。
   於是、大中姫命惶之、不知退而侍之、経四五剋。
   當于此時、季冬之節、風亦烈寒。大中姫所捧鋺水、
   溢而腕凝。不堪寒以将死。(…以下略…)  (※允恭紀より)


 日本書紀を見ると、この「堅」なる態度が、美談と言えるまでに詳しく描かれている。この「堅」なる態度こそが、「オサカ」(OSQ)という名の由来であろう。「忍坂」という表記は、いわゆる借訓表記(字義を捨象し、訓だけを借りた表記)に過ぎない。日本書紀の場合も、この「堅」なる態度に根負けして(あるいは心を打たれて)、天皇は即位することとなるのである。


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 だが、「刑部」が定められたのは、この出来事があった元年ではない。翌2年の2月14日、「忍坂大中姫」は皇后になり、そして、「刑部」が定められた。その由来譚は、古事記には見当たらないが、日本書紀には明確に描かれている。「皇后、(中略)昔日の罪を数めて殺さむとす」という部分がそれだ。「刑部」は「死刑」に関わると見てよかろう(半ば通説化)。


   ・「OSQ」……to be obstinate(態度が堅い):古事記も書紀も説話あり
   ・「OΣQ」……to bring an accusation(罪を与える):書紀のみ説話あり


 ところが、偶然にも「to bring an accusation」(罪を与える)という意味のシリア語に「OΣQ」がある。こちらも、倭音化して受け止められた音形は、「オサカ」と考えられる。有り体に言うと、「刑部」が「オサカベ」と訓まれるのは、「OΣQ」に「刑」(罪を与える)の意味があるからである。即ち、この訓み(倭訓)は、シリア語(Syriac)から借用された倭語で訓んでいるのである。


【追記】
 ここで特に重要なのは、古事記の「忍坂之大中津比売」は、「OΣQ」という語に纏わる逸話を伴わないという点である。この場合は、少なくとも古事記の「刑部」に関して言う限り、「オサカ」(OSQ)という語形に対し「刑」の訓みの一つである「オサカ」(OΣQ)を充て、「刑部」に作った。そう理解すべきだろう。古事記というテクスト上において、「刑部」という表記は、いわゆる借訓表記として機能しており、それ故、依然として「OSQ」の意味を保持しているのである。

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