日本書紀の「梅豆羅」について

いわゆる二十八宿に似たものは、かなり広範囲の文化圏で知られる。その点に関し、たとえば次のように説明される(http://www.1978.jp/001/0.html)。 日本でも、キトラ古墳や高松塚古墳の星宿図が話題になっていますが、 この二十八宿と非常に類似するものは…

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古事記の「刑部」のテクスト上の機能について

前項では、「刑部」を「オサカベ」と訓むのは、シリア語(Syriac)からの借用語「OΣQ」(罪を与える意)に拠ることを述べた。しかしながら、古事記において、「大后」(忍坂之大中津比売)の名前の由来は、あくまでも「OSQ」(態度が堅い意)である。古…

二つの「オサカ」について──【ܥܣܩ】と【ܥܫܩ】──

古事記の中に、聊か奇妙な御名代の記事がある。「蝮之水歯別命」の御名代が「蝮部」であるのは理解できる。「葛城之曽都毘古之女、石之日売命」の御名代が「葛城部」であるのも理解できる。だが、「大江之伊邪本和気命」の御名代が「壬生部」であるのは意味…

角界の源流を探る(2)──「阿多隼人」考──

古事記中、「阿多」の文字列は、いわゆる音仮名表記として、本文や歌謡の中にも出てくる。以下に、固有名詞を除く「阿多」の文字列を網羅する。この中で最も多いのは、「惜しい」という意味の「あたら」(形状言)、および「あたらし」(形容詞)である。 ・…

「大隅隼人」の「大隅」について

日本書紀(天武天皇十一年)において、「阿多隼人」と「大隅隼人」は、相撲をとる。負けの立場は「阿多隼人」、勝ちの立場は「大隅隼人」。したがって、同日の前項で述べたように、「隼人・曽婆加理」(山田之曽富騰)は、「阿多隼人」に相当する。 ところが…

角界の源流を探る(1)──「久延毘古」考──

日本書紀の垂仁天皇七年「秋七月己巳朔乙亥」(7月7日)の箇所に、今日の相撲のルーツに当たる事柄が載るが、ここで「相撲」が「捔力」に作られるのは、いわゆる月宿傍通暦(http://d.hatena.ne.jp/ywrqa/20090821/1250811501)において、「7月7日」が【角】…

古事記の「墨」は「黒」ではない

古事記の崇神天皇条に注目すべき記事が載る。「墨坂神」に「赤色楯矛」を祭り、「大坂神」に「黒色楯矛」を祭り、云々と出てくる。この場合は、「墨」に「赤色」(Syriacでは「SWMQA」)が対応し、「大」に「黒色」(Syriacでは「AWKMA」)が対応する。 又於…

「女鳥」も「隼人」も智恵を持つ

異なる列音の母音が重なった場合、「相対的に狭いほうの母音」が脱落する(第一原則)。また、「CVCV・VCVCV」において、一番目のVと二番目のVが同じ列音の場合は、二番目の母音が三番目の母音より広くても、二番目の母音が脱落し、三番目の母音が残る(第二…

「山田之曽富騰」(記)と「匝布屯倉」(紀)の繋がり

まず第一に、古事記の「山田」は3箇所に限る。上巻に「於今者山田之曽富騰者也。此神者、足雖不行、尽知天下之事神也」と出てきて(1箇所)、その後は、下巻の二つの系譜記事に「春日山田郎女」が出てくるのみ(2箇所)。このような場合は、古事記というテク…

古事記の「飯豊」について

於是、問日継所知之王、 市辺忍歯別王之妹、忍海郎女、亦名飲豊王、 坐葛城忍海之高木角刺宮也。 爾、山部連小楯、任針間国之宰時、 到其国之人民、名志自牟之新室楽。 (……中略……) 爾即、小楯連聞驚而、 自床堕転而、追出其室人等、 其二柱王子、坐左右膝…

古事記の「女鳥」について

安閑天皇(広国押建金日)と宣化天皇(建小広国押楯)は兄弟である(母は「尾張連之祖、凡連の妹、目子郎女」と記される)。名前に共通して「広国押」と「建」を含むので、前者の名前の固有部分は「金日」、後者の名前の固有部分は「小楯」である(これは、…

「春二月」(翼月)は「ܦܠܓܘܢ」と訓める

日本の「秋八月」は「Bhādrapada」(室月)に当たり、セム系の文化圏の「AB」に当たる。大体それは太陽占星術で言う「おとめ座」に当たる。その「おとめ座」は死海写本に「B十WL十A」(いわゆる少女の意味)と出てくる(2009-08-21の記事など参照)。この…

古事記の「天押帯日子」について

古事記の「春」は16文字。そのうち、14文字は「春日」(古事記というテクスト上の地名)として出てくる。残りの2文字は「春山之霞壮夫」として出てくる。後者は「兄号秋山之下氷壮夫、弟名春山之霞壮夫。」というように、秋春の対(pair)で登場する。 ・天…

「沙本」という未詳語について

古事記に「邪本」という文字列は七回出てくる。最初の二回は「袁邪本」という人名、残りの五回は「伊邪本和気」(いわゆる履中天皇)という人名である。こういう場合、古事記というテクストにおいて二人の人物はリンクされている(関連づけられている)と見…

於姓「日下」謂「玖沙訶」(ܚܫܘܟܐ)

古事記において、「闇」という文字は、10箇所に出てくる。そのうちの3箇所は、「天石屋戸」の場面(天照大御神が天石屋戸の内に隠れる場面)であり、残りの7箇所は、実のところ固有名詞中である(以下に列挙)。 【上巻】天之闇戸神、国之闇戸神、闇淤加美神…

舒明天皇の和風諡号について

古事記は推古天皇の帝紀的記事で終わっており、舒明天皇については敏達天皇の帝紀的記事中に「坐岡本宮治天下之天皇」と出てくるに過ぎない。しかし、日本書紀によれば、舒明天皇の和風諡号は「息長足日広額」であり、名前に「息長足」(息長帯に同じ)を含…

「ܐܒ」(秋八月)は「ܦܡܛܐ」(五)

やや遡るが、6月20日の稿において、「品陀和気」の「品陀」は「XMΘA」(瘤を意味する)の音写であり、数字の「5」を意味する「PMΘA」(ギリシャ語に由来するシリア語)との掛詞であることを述べた。その一方、仮に「A=2」のシステムが働いているとすると、…

古事記の「阿倍」について(1)

既に「室月」(Bhādrapada)が「AB」(セム系の言語圏における月名の一つ)に当たり、これが日本で「秋八月」とされていることは述べた。その一方、そもそも「室月」という訳語は、満月の15日が【室】であるところの月(month)という意味である。月宿の【室…

「布波能母遅久奴須奴」の「布波」は「ܚܘܒܐ」

古事記応神天皇条の孤立系譜、「又、堅石王之子者、久奴王也」に関して検討してきたが、とにもかくにも、「堅石王」は「石長比売」(恒如石而常堅不動坐)に比される存在であり、「久奴王」は「布波能母遅久奴須奴神」に比される存在である。「布波能母遅久…

「片塩」も「堅石」も「岐多斯」

月宿の【室】はシリア語のアルファベットの「A」である。即ち「愛比売」(伊予国)である。その【室】に当たるのが安寧天皇(師木津日子玉手見)と用明天皇(橘之豊日)である。「伊予」は「Y」の“一つの読み”であり、その「Y」の原義こそ「手」である。これ…

「片塩」は「岐多斯」と読むべき

安寧天皇は月宿の【室】に当たるが、その【室】の主宰神を摩登伽経は「富単那神」に作る。「伊予之二名島」の「二名」(フタナ)に重ねて捉えるべきものであることは既に述べた。安寧天皇の「片塩浮穴宮」は、一般に大和盆地の内に比定されているが、「伊予…

古事記における「堅石王」の位置づけ

古事記に奇妙な孤立系譜が見られる。応神天皇条の「又、堅石王之子者、久奴王也」がそれである。「堅石王」の位置づけが全く不明である。ひとまず、何の情報があるかと言えば、「堅石」という名前の人物と「久奴」という名前の人物が親子であるという情報で…

「三島湟昨之女」の「富登」と「美富登」(安寧陵)

次に、「富登」について考察する。意味が女性の陰部であることはよい。問題は、どこに出てきて、どのように機能しているかだ。以下の説話が有名である。ここで「三島湟昨」は人名だが、古事記の「三島」は、この箇所と、継体天皇の「三島之藍陵」の箇所に限…

月日の設定について(舒明天皇の伊予行幸)

日本書紀のそれぞれの記事については、実際に何らかの記録(いわゆる原資料の類)が残っていて、それが写されたケースもあるだろう。しかし、そうではないケース、日本書紀述作の時点において初めて書かれたケースも当然ながらあるだろう。一般論としては、…

「賦斗迩」の「廬戸宮」について

8月19日の稿と8月21日の稿で述べたことをまとめておこう。古事記の天皇のうち「手」を名に負うのは「玉手見」(安閑天皇)に限り、皇后のうち「手」を名に負うのは「手白髪」(継体天皇の皇后)に限る。前者は月宿の【室】に当たり、後者は月宿の【斗】に当…

雄略天皇条の「虻」は「ܐܒ」(秋八月)

インドにおける月宿の名称と各月の名称の関係において、少し注意すべき点がある。一つの例で述べておく。摩登伽経の【室】と【壁】は、意訳を旨とする舍頭諫経においては【前賢迹】と【後賢迹】に作られる。これは「Pūrvabhādrapadā」と「Uttarabhādrapadā」…

死海写本の傍通暦(zodiacal calender)

実のところ死海写本にも月宿傍通暦に似たものが見られる。但し、月宿(lunar mansion)ではなく、十二宮(zodiac)を用いて記されている。即ち、各月の各日に対し、月(moon)が何座に位置するかを(たぶん一年分)記したものである。たとえば「ADR」の月(m…

奈良時代以前の月宿傍通暦

たとえば2008年の年末の月と星の位置関係だが、関西における実測において、12月12日(グレゴリオ暦)が満月で、15日に月が鬼宿(西洋で言うところの蟹座)に重なった。つまり旧暦で言えば、11月15日が満月で、11月18日に月が鬼宿に重なった。この場合、12月1…

日本の正月について(獅子舞の由来)

インドにおいては、当該月の満月の日の宿名を、その当該月の名称としている。「たとえば春分のころなら太陽は婁宿にあるからその時に満月になれば月は180度離れた角宿(Citra)にあることになる。したがって春分近くの月を角月(Caitra)と呼ぶのである」(…