「大隅隼人」の「大隅」について

 日本書紀天武天皇十一年)において、「阿多隼人」と「大隅隼人」は、相撲をとる。負けの立場は「阿多隼人」、勝ちの立場は「大隅隼人」。したがって、同日の前項で述べたように、「隼人・曽婆加理」(山田之曽富騰)は、「阿多隼人」に相当する。
 ところが、古事記をよく見ると、「近習墨江中王之隼人、名曽婆加理」とある。即ち、「隼人・曽婆加理」は「墨江中王」に近く仕える存在として描かれている。そうすると、「阿多隼人/大隅隼人」の対(pair)は「墨江/大江」の対(pair)に重なる。


   ・「阿多隼人」……「墨江」……「SWMQA」
   ・「大隅隼人」……「大江」……「AWKMA」


 7月22日の稿(http://d.hatena.ne.jp/ywrqa/20100722/1279732182)で、既に指摘した通り、「墨江/大江」の対(pair)は、「SWMQA/AWKMA」の対(pair)と見てよい。「大隅隼人」の「大隅」が「AWKMA」と読めることは、単なる偶然ではないだろう。
 その「大隈」を古事記は「久須毘」(黒子)に作る。「大隈」が「AWKMA」(黒色)だからこそ、「久須毘」(黒子)に置換し得るのである。外来語(主にアラム語のグループ)の存在を前提としなければ、この置換の説明はつかない(未解明のまま終わる)。

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