古事記の「刑部」のテクスト上の機能について

 前項では、「刑部」を「オサカベ」と訓むのは、シリア語(Syriac)からの借用語「OΣQ」(罪を与える意)に拠ることを述べた。しかしながら、古事記において、「大后」(忍坂之大中津比売)の名前の由来は、あくまでも「OSQ」(態度が堅い意)である。古事記の「刑部」は、いわゆる借訓表記であり、依然として「OSQ」の意味を保持している。そう見るべきである。


  ・「大后」(忍坂之大中津比売)の御名代……「刑部」★
  ・「大后之弟、田井中比売」の御名代……「河部」★  (※田井之中比売)


 そういう「大后」の弟であることを明示しつつ、「田井中比売」(田井之中比売)の御名代の記事は在る。したがって、「河部」についても、借訓表記である可能性を考えてよかろう。即ち、「河」という漢字の字義から離れて、この問題を考えてもよい。その場合、「オサカ」(忍坂)という言葉と、「タヰ」(田井)という言葉の関連を考えてみることが一つの鍵になるだろう。


  ・「OSQ」……「grievous」(辛い)とか「to be unhappy」(惨め)とか
  ・「十WA」……「to be sorry」(悔しい) ※分詞「M十WY」に「sad」の意あり
  ・「KWB」……「to feel sorrow」(悲しい) ※「KWBA」は「荊」の意


 まず第一に、「大后」の態度が堅いことに由来する「オサカ」(OSQ)という語が、「刑」の文字で表記された時点において、「オサカ」(OSQ)のもう一つの意味(辛いとか惨めとか)が表面化する。その「オサカ」(OSQ)と「タヰ」(十WA)は意味が近しい。このことから、「田井之中比売」の「田井」(タヰ)は「十WA」(sadの意)と考えることができるのではないか。


  ・「ウリ」は「苽」にも「瓜」にも表記し得る。(※記に「八苽之白日子」の例あり)
  ・「ウバラ」は「荊」にも「刑」にも表記し得る。(※「刑部」は「荊部」にも見える)


 ところが、「KWB」には「to feel sorrow」(悲しみを感じる)の意味があり、その縁語である「KWBA」には「thorn」(棘とか荊とか)の意味がある。したがって、「十WA」(田井、sadの意)の御名代が「KWB」(河、sadの意)に作られた時点で、その姉の御名代である「刑」は、結果的に「荊」のニュアンスを帯びる。こう考えると、全体を整合的に理解できるだろう。


【補足1】
 「KWB」に「部」を附すと、そのままでは濁音が連続する音形になる。こういう場合は、倭音化する際に、いずれかが清音化する。仮に、「部」が「べ」のままであれば、「kaba」は「kafa」になる。それ故、借訓表記として「河」を使用したか。
 また、このように考えなくても、「XWBA」が「布波」に写されているなど、シリア語で「B」に綴られる頭子音が日本側で清音仮名に写される例は幾つか見られる。後ろに「部」が着かなくとも、「KWB」は「河」に写された可能性がある。


【補足2】
 「忍坂部」に作らず、「刑部」に作ることにより、「OSQ」に別の意味合い(辛い・惨め・悲しい)が付加されるだけでなく、「荊」(KWBA)が想起される。その延長線に「KWB」(sadの意)の語や「十WA」(sadの意)の語があるという話。

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