角界の源流を探る(2)──「阿多隼人」考──
古事記中、「阿多」の文字列は、いわゆる音仮名表記として、本文や歌謡の中にも出てくる。以下に、固有名詞を除く「阿多」の文字列を網羅する。この中で最も多いのは、「惜しい」という意味の「あたら」(形状言)、および「あたらし」(形容詞)である。
・「阿多良斯登許曽」(本文)……「あたらし」(惜し)
・「訓八尺云八阿多」(訓注)……「あた」(咫)
・「美刀阿多波志都」(本文)……「あたふ」(与ふ)
・「阿多々弖都岐」(歌謡)………「あた」(他) ※但し異同あり
・「和芸弊能阿多理」(歌謡)……「あたり」(辺り)
・「阿多良須賀波良」(歌謡)……「あたら」(惜)
・「阿多良須賀志売」(歌謡)……「あたら」(惜)
そして、「あた」という二音節の語は、「他」(other)の意味の「あた」と、「八尺鏡」(八咫鏡)の「あた」(咫)の二語である。但し、「阿多々弖都岐」の箇所には異同があって、「阿多」と表記されていたか疑問が持たれている。つまり、確例は「あた」(咫)のみである。
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それはそれとして、残りは固有名詞だが、まず「大山津見神之女、名神阿多都比売、亦名謂木花之佐久夜毘売」と出てきて、次に「火照命、此者隼人阿多君之祖」と出てきて、最後に「阿多之小椅君之妹、名阿比良比売」と出てくる。以上の三者である。
・「神阿多都比売」……別名を「木花之佐久夜毘売」と言う
・「隼人阿多君」……その祖は「火照命」(海佐知毘古のこと)
・「阿多之小椅君」……妹の「阿比良比売」の子は「當藝志美美」
まず第一に、同じ君姓氏族という意味でも、「阿多之小椅君」は「隼人阿多君」(日本書紀は「阿多隼人」に作る)に重なる。つまり、「阿多之小椅君」は、「阿多隼人」と見てよい。その「阿多之小椅君」の妹は「阿比良比売」、その子に「當藝志美美」がいる。
・「阿多隼人」は「墨江」に対応……「曽婆加理」(曽富騰)……「當摩蹶速」
・「大隅隼人」は「大江」に対応
然るに、2010-07-24の稿で述べた通り、「阿多隼人」は「墨江」に対応し、それ故に、「近習墨江中王之隼人、名曽婆加理」(山田之曽富騰)に重なる。加えて日本書紀の「當摩蹶速」に重なる。ならば、「當藝志美美」は、「當摩」の「蹶速」(久延毘古)と同系統と言える。
・「當摩」(當は二合仮名)は、「當藝摩」(當藝は連合仮名)にも作る。
・「當藝志美美」は、「當摩」の「蹶速」(久延毘古)と同系統。
・「吾足不得歩、成當藝當藝斯玖」という表現がある。
・「足雖不行」云々と言われるのは「久延毘古」(山田之曽富騰)。
古事記に「吾足不得歩、成當藝當藝斯玖」という表現があるが、「足不得歩」は「足不行」に略同。したがって、「當藝當藝斯」という言葉は「久延毘古」に対しても言える言葉である。その一方、「當摩蹶速」も「當藝志美美」も名前が「當藝當藝」しい(これらの言葉は何の為に用意されたのか?)。
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結局のところ──中国史書における「突蹶」を、古事記は「當藝志」(Turgish)に作っているのである。それだからこそ、「蹶速」に重なるところの「久延毘古」(山田之曽富騰、隼人曽婆加理、隼人阿多君、阿多之小椅君)の系統に「當藝志美美」が位置づけられるのである。
2010-07-24の稿で述べた「音仮名の【久延】は【蹶】の倭訓と見るのがよい」という事柄が、まさしく、集約的に物語っている。日本書紀(垂仁天皇七年)の7月7日の「捔力」(相撲)の記事の一方の主役である「當摩蹴速」は、「突蹶」を表象するものとして在る。そう言えよう。