「山田之曽富騰」(記)と「匝布屯倉」(紀)の繋がり

 まず第一に、古事記の「山田」は3箇所に限る。上巻に「於今者山田之曽富騰者也。此神者、足雖不行、尽知天下之事神也」と出てきて(1箇所)、その後は、下巻の二つの系譜記事に「春日山田郎女」が出てくるのみ(2箇所)。このような場合は、古事記というテクスト上で「山田之曽富騰」と「春日山田郎女」はリンクされていると見なければならない。


   ・山田之曽富騰……此神者、(中略)尽知天下之事神  (古事記・上巻)
   ・丸迩日爪臣──糠若子郎女──春日山田郎女     (仁賢記)
   ・春日之日爪臣──糠子郎女──春日山田郎女     (欽明記)


 一方、日本書紀に「匝布屯倉」(匝布は沙本に同じ)が「春日皇女」の名を表すことになる旨の記述が載る。これは、「春日」の訓みの一つに「沙本」が有ると考えれば、理解しやすいだろう(2010-07-18の《「沙本」という未詳語について》の項を参照)。その場合に、「曽富騰」の「曽富」という音形が「沙本」という音形に似ていることが無視できなくなる。


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 第二に、古事記の「日爪臣」を日本書紀が「日触臣」に作るということがある。後者は「比布礼」と訓め、古事記の「丸迩之比布礼能意富美」(日触の大臣)に重なる。その「比布礼能意富美」の孫に当たるのが「女鳥」である。そして、実のところ、その「女鳥」は月宿の【女】(耳聡にも聡耳にも作る)を表象する(同日の《古事記の「女鳥」について》の項を参照)。


   ・丸迩之比布礼能意富美──宮主矢河枝比売──女鳥   (応神記)


 「日爪」も「日触」も同じ。そういうことであれば、二つの「日爪」の系譜に位置づけられる「春日山田郎女」と、「比布礼」(日触)の系譜に位置づけられる「女鳥」(月宿の【女】と見てよい)は、血縁の関係にあると見なければならない。つまり、「春日山田郎女」と、月宿の【女】は、血縁を有するほどの関係性を持つということになる(そのように設定されている)。


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 結局、一方で「春日山田郎女」の「春日」は「沙本」と訓め、一方で「春日山田郎女」は「女鳥」(月宿の【女】を表象する)と同族である。ところが、摩登伽経の女宿を舍頭諫経は耳聡宿に作る。その「耳聡」(聡耳)に関し、書紀は「一聞十人訴、以勿失能弁。兼知未然」と説く。その内実は、ギリシャ語からの借用語である「SWPYA」(wisdomの意)に重なる。
 「山田之曽富騰」に対し、古事記は「此神者、尽知天下之事神也」と記述するが、一方で「曽富」という音形は「SWPYA」(wisdomの意)に通ずる。「曽富騰」に関しては、このほかに「久延毘古」という名前と「足雖不行」という態様が記されるのみであり、具体的な姿形は分からない。いわゆる山田の中の一本足の案山子は、実は「ふくろう」(飯豊)ということか。

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