2009-08-01から1ヶ月間の記事一覧

「布波能母遅久奴須奴」の「布波」は「ܚܘܒܐ」

古事記応神天皇条の孤立系譜、「又、堅石王之子者、久奴王也」に関して検討してきたが、とにもかくにも、「堅石王」は「石長比売」(恒如石而常堅不動坐)に比される存在であり、「久奴王」は「布波能母遅久奴須奴神」に比される存在である。「布波能母遅久…

「片塩」も「堅石」も「岐多斯」

月宿の【室】はシリア語のアルファベットの「A」である。即ち「愛比売」(伊予国)である。その【室】に当たるのが安寧天皇(師木津日子玉手見)と用明天皇(橘之豊日)である。「伊予」は「Y」の“一つの読み”であり、その「Y」の原義こそ「手」である。これ…

「片塩」は「岐多斯」と読むべき

安寧天皇は月宿の【室】に当たるが、その【室】の主宰神を摩登伽経は「富単那神」に作る。「伊予之二名島」の「二名」(フタナ)に重ねて捉えるべきものであることは既に述べた。安寧天皇の「片塩浮穴宮」は、一般に大和盆地の内に比定されているが、「伊予…

古事記における「堅石王」の位置づけ

古事記に奇妙な孤立系譜が見られる。応神天皇条の「又、堅石王之子者、久奴王也」がそれである。「堅石王」の位置づけが全く不明である。ひとまず、何の情報があるかと言えば、「堅石」という名前の人物と「久奴」という名前の人物が親子であるという情報で…

「三島湟昨之女」の「富登」と「美富登」(安寧陵)

次に、「富登」について考察する。意味が女性の陰部であることはよい。問題は、どこに出てきて、どのように機能しているかだ。以下の説話が有名である。ここで「三島湟昨」は人名だが、古事記の「三島」は、この箇所と、継体天皇の「三島之藍陵」の箇所に限…

月日の設定について(舒明天皇の伊予行幸)

日本書紀のそれぞれの記事については、実際に何らかの記録(いわゆる原資料の類)が残っていて、それが写されたケースもあるだろう。しかし、そうではないケース、日本書紀述作の時点において初めて書かれたケースも当然ながらあるだろう。一般論としては、…

「賦斗迩」の「廬戸宮」について

8月19日の稿と8月21日の稿で述べたことをまとめておこう。古事記の天皇のうち「手」を名に負うのは「玉手見」(安閑天皇)に限り、皇后のうち「手」を名に負うのは「手白髪」(継体天皇の皇后)に限る。前者は月宿の【室】に当たり、後者は月宿の【斗】に当…

雄略天皇条の「虻」は「ܐܒ」(秋八月)

インドにおける月宿の名称と各月の名称の関係において、少し注意すべき点がある。一つの例で述べておく。摩登伽経の【室】と【壁】は、意訳を旨とする舍頭諫経においては【前賢迹】と【後賢迹】に作られる。これは「Pūrvabhādrapadā」と「Uttarabhādrapadā」…

死海写本の傍通暦(zodiacal calender)

実のところ死海写本にも月宿傍通暦に似たものが見られる。但し、月宿(lunar mansion)ではなく、十二宮(zodiac)を用いて記されている。即ち、各月の各日に対し、月(moon)が何座に位置するかを(たぶん一年分)記したものである。たとえば「ADR」の月(m…

奈良時代以前の月宿傍通暦

たとえば2008年の年末の月と星の位置関係だが、関西における実測において、12月12日(グレゴリオ暦)が満月で、15日に月が鬼宿(西洋で言うところの蟹座)に重なった。つまり旧暦で言えば、11月15日が満月で、11月18日に月が鬼宿に重なった。この場合、12月1…

日本の正月について(獅子舞の由来)

インドにおいては、当該月の満月の日の宿名を、その当該月の名称としている。「たとえば春分のころなら太陽は婁宿にあるからその時に満月になれば月は180度離れた角宿(Citra)にあることになる。したがって春分近くの月を角月(Caitra)と呼ぶのである」(…

「手」(ܝܘܕ)の天皇は「伊予之二名島」に連なる

月宿(lunar mansions)の体系には、二十八宿の体系と、【牛】を除いた二十七宿の体系がある。「28」は「4×7」であり、「27」は「3×9」である。したがって、主にセム系言語などに見られる九進法は、【牛】に数を充てないことにより、そのまま月宿に対応する…

「ܝܘܪܩܐ」は「海豚」を含意する

安閑天皇が月宿の【牛】ならば、天皇の並び順は「継体、安閑、宣化、欽明」、月宿の並び順は「斗、牛、女、虚」だから、両者の対比から自動的に欽明天皇は【虚】ということになる。ところが、もちろん月宿(牛宿を含めて28宿)は循環しているので、第29代の…