「片塩」は「岐多斯」と読むべき

 安寧天皇は月宿の【室】に当たるが、その【室】の主宰神を摩登伽経は「富単那神」に作る。「伊予之二名島」の「二名」(フタナ)に重ねて捉えるべきものであることは既に述べた。安寧天皇の「片塩浮穴宮」は、一般に大和盆地の内に比定されているが、「伊予国」に「浮穴」という地名が古くから存在する。「浮穴」の故地は「伊予国」と見るべきである。さらに進んで、本稿では「片塩」について考えてみたい。問題は、その読み方である。


   宗賀之稲目宿禰大臣之女、岐多斯比売。           (古事記


   蘇我大臣稲目宿禰女曰、堅塩媛。〈堅塩此云岐柂志。〉  (日本書紀


 諸本集成古事記を見る限り、宣長の古訓古事記が「カタシハ」とする以外、その付訓は総て「カタシホ」である。現在の種々校訂本も総て「カタシホ」としている。しかし言うまでもなく、真福寺本など古い写本は無訓である。本来どう読まれることが期待されていたか、それは闇の中なのだ。その場合に、「蘇我大臣稲目」の娘の「堅塩媛」の「堅塩」に対し、「堅塩此云岐柂志」の訓注があること、古事記も「岐多斯比売」とし、その音形が一致していることは重要である。新編全集の頭注に以下のようにある。


   普通名詞はカタシホ(中略)であるが、ここは人名としての呼び方を注
   する。語形としてはキタシ(固)シホ(塩)の縮約で、カタシホもキタシも
   物は同じ。   (上記引用日本書紀の箇所に対する新編全集の頭注)


 人名としての特別な読み方であるように受け取れる解説だが、この他にも孝徳紀大化五年三月条に、「諱称塩名、改曰堅塩」という実話か何か分からない話が出てくる。新編全集の頭注は「キタシはキタシ(堅)シホ(塩)の縮約。キタシとカタシは音通」と説明している。「シホ」を「カタシホ」と言い換えても、「キタシホ」と言い換えても、「シホ」という敵の名を口にすることになってしまう。該当する物(漢字で書けば堅塩)を「キタシ」と呼ぶ呼び方が世の中に存在したからこそ、「キタシ」と呼ぶことができた。だからこそ新編全集の頭注も、この箇所に関しては、普通名詞と人名を区別するような解説を施していない。


   ・「堅」……「カタシ」>「キタシ」(キは甲類)
   ・「堅塩」……「キタシ・シホ」>「キタシホ」>「キタシ」


 ということは、一方で「カタシ」(堅)から「キタシ」(堅)への音転が考えられ、一方で「キタシホ」(堅塩)の最終音節である「ホ」の脱落が考えられるということである。だからといって、「カタ」(片)から「キタ」(片)への音転が起こり得たかどうか、それは何とも言えないが、少なくとも、「シ」で始まる名詞に前接する場合には、「カタシ〜」(片シ〜)という音形が現出するのであり、その場合、「キタシ〜」(片シ〜)という音形へ転ずることは当時において有り得たと見られる。
 また、前接する修飾語が「カタシ」(堅し)の場合には「カタシホ」(堅塩)の「ホ」が脱落し、前接する修飾語が「カタ」(片)の場合には「カタシホ」(片塩)の「ホ」が脱落しない、というようなことも考えにくい。「堅い」という意味が特に加わることによって脱落するのだ、というような理屈は奇妙である。音韻上の法則ではなく、語構成的な法則によって音形が変化する例もあるが、この場合には語構成的な法則も見出せない。そうすると、表記者が「カタシホ」という語形を念頭において「片塩」と記したのか、それとも「キタシ」という語形を念頭において「片塩」と記したのか、確定的なことは言えないのである。


   ・「片塩」……「カタシホ」>「キタシホ」>「キタシ」


 ここで加えて注意すべきは、「キタシ」(キは甲類)という語形を音仮名ではなく、訓字で表記しようとした場合、どんな表記が当時において考えられたかという点である。大前提として、古事記の表記において、あるいは他の上代資料において、三音節の名詞を三文字の訓仮名で記すような例は皆無に近いということがある。たとえば古事記の「目弱(マヨワ)王」を日本書紀は「眉輪(マヨワ)王」に作る。前者は「弱」が二音節を担い、後者は「眉」が二音節を担う。この類型が最も多い。この他に一訓三音節の例も一部に見られる(円皇女など)が、一訓で「キタシ」と読める語は上代に存在せず、不可能である。然らば、「キ+タシ」と分割するか、「キタ+シ」と分割するかして、二字に分担させるしかない。
 まず「キ+タシ」の形で考える場合、甲類の「キ」に充て得る訓仮名として「寸・杵・来」があった。特に前二者は古事記に例が見られる。しかし、上代に「足す」という語は存在せず、仮に「杵足」と書いてみたところで「キタシ」とは読めない。他にも「タシ」の二音節を担い得る訓字は上代に存在しない。次に「キタ+シ」の形で考える場合、一応は「北」が候補になろうが、「キ」の甲乙が不明である。また、「シ」に充て得る訓仮名として「磯・為」があった(日本書紀の「磯」の例は極めて多数)が、少なくとも古事記の使用例は皆無である。


   ・【室】安寧(師木津日子玉手見)……その宮都が「片塩浮穴宮」
   ・【室】用明(橘之豊日)……その母が「岐多斯(堅塩)比売」


 結局、「キタシ」という音形を訓字で実現しようとした場合には、その訓字の候補がほとんど無いのだ。かかる状況において、「堅塩」の正訓として「キタシ」が存在するという事実は大きいだろう。少なくとも、これに類する表記方式、つまり「塩」(シホ)に修飾語が前接する場合に「ホ」が脱落することを踏まえた表記方式が採用された確率は少なくないと言えるのではないか。
 ところが、「手」(伊予)を名に負う安寧天皇が月宿の【室】に当たるだけでなく、「橘」(伊予の蜜柑は有名)を名に負う用明天皇も月宿の【室】に当たる。その用明天皇の母こそ、他ならぬ「岐多斯比売」(堅塩媛)である。このことに着目すれば、もはや「片塩」が「岐多斯」の訓字を用いた表記であることを疑う余地はないだろう。いずれも月宿の【室】に当たるという意味において安寧天皇用明天皇は同一視できる。そこで同一視して表現すれば、「片塩浮穴宮」に宮都を置く天皇の母が「岐多斯(堅塩)比売」なのだ。「片塩」はどう読むべきか。


 [追記]「キタ+シ」の形で訓字による表記を考える場合に、そのバリエーションとして母音の縮約を利用した「キタ+アシ」の形や「キタ+イシ」の形も考えられる。たとえば「北足」は「キタシ」と読める。また「北石」も「キタシ」と読める。むろん「石」を「イシ」と読む場合の話である。但し上記で述べた通り、「北」(キタ)の「キ」は甲乙不明。仮に乙類であれば、候補から外れる。

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