古事記における「堅石王」の位置づけ

 古事記に奇妙な孤立系譜が見られる。応神天皇条の「又、堅石王之子者、久奴王也」がそれである。「堅石王」の位置づけが全く不明である。ひとまず、何の情報があるかと言えば、「堅石」という名前の人物と「久奴」という名前の人物が親子であるという情報である。それ以上の情報はない。こういう場合に、原資料にあったので、よく分からないが、そのまま載せたのである、というような議論の仕方は芳しくない。「堅石王」に繋がる系譜が何らかの事情で脱落してしまったのである、というような議論の仕方も芳しくない。当然、原系譜を復元するような方向は、是非とも避けたい。親子という関係性の枠組を用いて「堅石」と「久奴」が結ばれているという事実を把握し、この事実を古事記というテクスト全体の中に位置づけることをこそ目指すべきである。


   爾、大山津見神、因返石長比売而、大恥、白送言、
   「我之女二並立奉由者、
   使石長比売者、天神御子之命、雖雪零風吹、恒如而、常不動坐、
   亦、使木花之佐久夜比売者、如木花之栄々坐、
   宇気比弖、貢進。
   此、令返石長比売而、独留木花之佐久夜毘売故、
   天神御子之御寿者、木花之阿摩比能微坐。」
   故是以、至于今、天皇命等之御命、不長也。    (古事記・上巻)


 まず押さえるべきは、「堅石」にまつわる説話があるかどうかだ。有名なものが一つ(石長比売の話)、それほど有名ではないが、渡来記事として注目されるものが一つ(須須許理の話)、少なくとも二つある。今回、後者は扱わない。「大山津見神」の台詞部分を中心にして上記に引用した。「石長比売を使はば、天つ神御子の命は、雪零り風吹くとも、恒に石の如くして、常に堅に動かず坐さむ」と言われる部分が該当する。「恒に石の如くして、常に堅に動かず」坐すところのものこそ、他ならぬ「堅石」(一般にカタシハと読まれている)であろう。


   ・「石長比売」の効用………………「堅石」
   ・「木花之佐久夜比売」の効用……「木花之栄」


 即ち、この説話では、「石長比売」を使うことの効用として「堅石」の如く坐すことが語られている。また、それと対を成すような形で、「木花之佐久夜荼比売」を使うことの効用として「木花之栄」の如く栄え坐すことが語られている。「石長比売/木花之佐久夜比売」の効用が「堅石/木花之栄」なのだ。ここで注意したいのは、長く生きることと、華々しく生きることは、なかなか両立し難いという点である。事実、「石長比売」が返されるという形で結果的として両立が阻まれている。その意味において、「堅石/木花之栄」は対義的な一対と言える。「石長比売/木花之佐久夜比売」は対義的な一対と言える。


   兄八島士奴美神、娶大山津見神之女、名木花知流〈此二字以音〉比売、
   生子、布波能母遅久奴須奴神。            (古事記・上巻)


 ところで、この姉妹の父は「大山津見神」である。その一方、「須佐之男」と「大国主」の関係を示す系譜の中に「木花知流比売」という女性が出てくる。父が同じ「大山津見神」である以上、この箇所の「木花知流比売」は「木花之佐久夜比売」の姉か妹だが、「須佐之男」の子供と結婚するのだから、年齢的に随分と上でなければならず、さしあたり姉ということになる。また、「知流」と音仮名に作る点には注意すべきとしても、ひとまず「知流」は「散る」と読めるだろう。もちろん「散る」と「咲く」は完全な対義語である。対義的の意味合いが異なりはするが、「木花知流/木花之佐久夜」もまた対義的な一対である。


   ・「木花知流比売」…………その子「布波能母遅久奴須奴神
   ・「木花之佐久夜比売」……その子「火照/火須勢理/火遠理」


 つまり、「木花之佐久夜比売」を中心軸として考えてみると、一方において「石長比売」が対義的な位置に置かれ、その効用(ある意味で子供のようなもの)として「堅石」が提示され、一方において「木花知流比売」が対義的な位置に置かれ、その子供として「布波能母遅久奴須奴」という名前が提示される。古事記の在り方は、そのような在り方である。もっと抽象化して言えば、「堅石」も、「布波能母遅久奴須奴」も、どちらも「木花之栄」に対置されるものとして、古事記上に提示されているのである。


   ・「石長」(木花之佐久夜に対置)……「堅石」
   ・「木花知流」(〃〃〃〃に対置)……「布波能母遅久奴須奴」


 然るに、冒頭の孤立系譜に戻ってみると、親子という関係性の枠組を用いて「堅石」と「久奴」が結ばれているのだった。「又、堅石王之子者、久奴王也」が、その箇所である。古事記に出てくる名前という名前を残らず調べてみても、さらに歌謡という歌謡を残らず調べてみても、「久奴」という語形(音形)は、実のところ「久奴王」の箇所と「布波能母遅久奴須奴神」の箇所に限る。「布波能母遅久奴須奴」は全体として訳の分からない名前だが、少なくとも「久奴」という名前が存在する以上、「布波、母遅、久奴、須奴」の四要素には分解できる。「久奴」がどういう語であれ、「久奴」を名に負う神として「布波能母遅久奴須奴」は古事記というテクスト上に存在するのである。
 以上に鑑みて、「堅石王」と「久奴王」の関係は、「堅石」と「布波能母遅久奴須奴」の関係にパラレルであり、「石長比売」と「木花知流比売」の関係にパラレルである。そう結論されるだろう。要するに件の孤立系譜は、「石長比売」と「木花知流比売」が姉妹(あるいは妹姉)であることに対応している。また、「恒如石而常堅不動坐」と言われる事柄と「布波能母遅久奴須奴」という意味不明の神名を結びつけてもいる。そういう話である。
 ここで重要なのは、「石長比売」や「木花知流比売」の父は「大山津見神」なのだから、「恒如石而常堅不動坐」と言われる事柄を体現するが如き名前を持つ「堅石王」も、その子供である「久奴王」も、また「木花知流比売」を母とし、名前に「久奴」を含む「布波能母遅久奴須奴神」も、すべからく「大山津見神」に連接する系譜上に位置づけることができるという点である。

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