2009-01-01から1年間の記事一覧

舒明天皇の和風諡号について

古事記は推古天皇の帝紀的記事で終わっており、舒明天皇については敏達天皇の帝紀的記事中に「坐岡本宮治天下之天皇」と出てくるに過ぎない。しかし、日本書紀によれば、舒明天皇の和風諡号は「息長足日広額」であり、名前に「息長足」(息長帯に同じ)を含…

「ܐܒ」(秋八月)は「ܦܡܛܐ」(五)

やや遡るが、6月20日の稿において、「品陀和気」の「品陀」は「XMΘA」(瘤を意味する)の音写であり、数字の「5」を意味する「PMΘA」(ギリシャ語に由来するシリア語)との掛詞であることを述べた。その一方、仮に「A=2」のシステムが働いているとすると、…

古事記の「阿倍」について(1)

既に「室月」(Bhādrapada)が「AB」(セム系の言語圏における月名の一つ)に当たり、これが日本で「秋八月」とされていることは述べた。その一方、そもそも「室月」という訳語は、満月の15日が【室】であるところの月(month)という意味である。月宿の【室…

「布波能母遅久奴須奴」の「布波」は「ܚܘܒܐ」

古事記応神天皇条の孤立系譜、「又、堅石王之子者、久奴王也」に関して検討してきたが、とにもかくにも、「堅石王」は「石長比売」(恒如石而常堅不動坐)に比される存在であり、「久奴王」は「布波能母遅久奴須奴神」に比される存在である。「布波能母遅久…

「片塩」も「堅石」も「岐多斯」

月宿の【室】はシリア語のアルファベットの「A」である。即ち「愛比売」(伊予国)である。その【室】に当たるのが安寧天皇(師木津日子玉手見)と用明天皇(橘之豊日)である。「伊予」は「Y」の“一つの読み”であり、その「Y」の原義こそ「手」である。これ…

「片塩」は「岐多斯」と読むべき

安寧天皇は月宿の【室】に当たるが、その【室】の主宰神を摩登伽経は「富単那神」に作る。「伊予之二名島」の「二名」(フタナ)に重ねて捉えるべきものであることは既に述べた。安寧天皇の「片塩浮穴宮」は、一般に大和盆地の内に比定されているが、「伊予…

古事記における「堅石王」の位置づけ

古事記に奇妙な孤立系譜が見られる。応神天皇条の「又、堅石王之子者、久奴王也」がそれである。「堅石王」の位置づけが全く不明である。ひとまず、何の情報があるかと言えば、「堅石」という名前の人物と「久奴」という名前の人物が親子であるという情報で…

「三島湟昨之女」の「富登」と「美富登」(安寧陵)

次に、「富登」について考察する。意味が女性の陰部であることはよい。問題は、どこに出てきて、どのように機能しているかだ。以下の説話が有名である。ここで「三島湟昨」は人名だが、古事記の「三島」は、この箇所と、継体天皇の「三島之藍陵」の箇所に限…

月日の設定について(舒明天皇の伊予行幸)

日本書紀のそれぞれの記事については、実際に何らかの記録(いわゆる原資料の類)が残っていて、それが写されたケースもあるだろう。しかし、そうではないケース、日本書紀述作の時点において初めて書かれたケースも当然ながらあるだろう。一般論としては、…

「賦斗迩」の「廬戸宮」について

8月19日の稿と8月21日の稿で述べたことをまとめておこう。古事記の天皇のうち「手」を名に負うのは「玉手見」(安閑天皇)に限り、皇后のうち「手」を名に負うのは「手白髪」(継体天皇の皇后)に限る。前者は月宿の【室】に当たり、後者は月宿の【斗】に当…

雄略天皇条の「虻」は「ܐܒ」(秋八月)

インドにおける月宿の名称と各月の名称の関係において、少し注意すべき点がある。一つの例で述べておく。摩登伽経の【室】と【壁】は、意訳を旨とする舍頭諫経においては【前賢迹】と【後賢迹】に作られる。これは「Pūrvabhādrapadā」と「Uttarabhādrapadā」…

死海写本の傍通暦(zodiacal calender)

実のところ死海写本にも月宿傍通暦に似たものが見られる。但し、月宿(lunar mansion)ではなく、十二宮(zodiac)を用いて記されている。即ち、各月の各日に対し、月(moon)が何座に位置するかを(たぶん一年分)記したものである。たとえば「ADR」の月(m…

奈良時代以前の月宿傍通暦

たとえば2008年の年末の月と星の位置関係だが、関西における実測において、12月12日(グレゴリオ暦)が満月で、15日に月が鬼宿(西洋で言うところの蟹座)に重なった。つまり旧暦で言えば、11月15日が満月で、11月18日に月が鬼宿に重なった。この場合、12月1…

日本の正月について(獅子舞の由来)

インドにおいては、当該月の満月の日の宿名を、その当該月の名称としている。「たとえば春分のころなら太陽は婁宿にあるからその時に満月になれば月は180度離れた角宿(Citra)にあることになる。したがって春分近くの月を角月(Caitra)と呼ぶのである」(…

「手」(ܝܘܕ)の天皇は「伊予之二名島」に連なる

月宿(lunar mansions)の体系には、二十八宿の体系と、【牛】を除いた二十七宿の体系がある。「28」は「4×7」であり、「27」は「3×9」である。したがって、主にセム系言語などに見られる九進法は、【牛】に数を充てないことにより、そのまま月宿に対応する…

「ܝܘܪܩܐ」は「海豚」を含意する

安閑天皇が月宿の【牛】ならば、天皇の並び順は「継体、安閑、宣化、欽明」、月宿の並び順は「斗、牛、女、虚」だから、両者の対比から自動的に欽明天皇は【虚】ということになる。ところが、もちろん月宿(牛宿を含めて28宿)は循環しているので、第29代の…

「ܡܣܪܐ」(イルカ)が「ܝܘܪܩܐ」(イルカ)を造る話

以下の稿は、7月12日の三つの稿の続きです。 7月12日の稿をまずお読み頂ければ幸いです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 創世記のいわゆるアダムが形造られる場面の一文(シリア語の聖書)は以下の通り。ここで、仮に「A=2」のシステムが働い…

「伊那毘」(印南)は牛宿の和名

古事記の「勾」は一方において「牛」を標示し、一方において「鹿」を標示する。その場合、いずれをも含む形で存在する「針間牛鹿臣」に注目しないわけにはいかない。系譜上の位置づけ(孝霊記に記載)を以下に整理しておく。「若日子建吉備津日子」は単に「…

古事記固有名詞中の「諸」は「勾」に重なる

古事記の「諸」の用例を調べてみると、特に変わった用法は見られない。固有名詞を除けば、「いくつかあるものの総体」(時代別国語大辞典)の意。たとえば連体修飾語として「諸家」「諸人」「諸神」「諸魚」と出てきたり、連用修飾語として「諸咲」(もろも…

「和迩吉師」の「和迩」は「makara」(磨竭宮)

古事記において「大物主」が登場するのは神武天皇条と崇神天皇条だが、特に「美和之大物主」の「美和」が「三勾」に由来することを説くのは崇神天皇条である。その一方で、崇神天皇の陵墓は「山辺道勾之岡上」に作られる。「勾」の岡の上である。「makara」…

「伊波礼毘古」は「イルカ座」(ܝܘܪܩܐ)

記紀の帝紀部分において共通して重要なのは、いわゆる神武を初代天皇に位置づけている点だろう。安閑天皇が月宿の【牛】ならば、神武天皇は月宿の【虚】ということになるが、その場合、記紀は月宿のトップに【虚】を位置づけていることになる。中国における…

「入鹿」について──「ܝܘܪܩܐ」と「ܚܝܬ」の関係

日本の古代文献においては、シリア語のアルファベットの「A」を「2」と数えていることを7月9日の稿で述べた。そう数える場合、たとえば、「BA」=「3+2」=「5」=「D」、ということになる。「BA」の意味は「戸」だが、アルファベットの「D」の意味も「戸」…

「山辺道勾之岡上」(崇神陵)の「勾」は「ܡܩܘܪܐ」

本稿を読む前に、6月21日の《「勾大兄王子」の「勾」について》の稿、 《「讃・珍・済・興・武」は「翼・軫・角・亢・氐」か》の稿をお読み下さい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日本書紀の安閑天皇の御名代の記事の「牛…

古事記の「飛鳥」について(6)──「八瓜」とは何か

摩登伽経は【虚】に関し、「形如飛鳥」と記す。その【虚】に該当する欽明天皇の宮都は「師木島大宮」だが、「大宮」というコードにより、「飛鳥清原大宮」にリンクされている。したがって、摩登伽経の「形如飛鳥」の「飛鳥」は、より詳しくは「飛鳥清原」と…

初代天皇の数字について

セム系の言語やギリシャ語などにおいては、アルファベットによる記数法が用いられる。シリア語においても、「A、B、G、……、θ」が「1、2、……、9」として用いられ、「Y、K、……、C」が「10、20、……、90」として用いられ、「Q、R、Σ、T」が「100、200、300、400…

古事記の「飛鳥」について(5)──「遠飛鳥」は「ASXA」

古事記の「飛鳥」の全箇所を7月4日の稿に列挙したが、そのうちの(4)は「近飛鳥」の命名説話、(5)は「遠飛鳥」の命名説話であった。「曾婆加理」という名の「隼人」にまつわる説話に含まれる形で出てくる。そのことの意味については後述するとして、とも…

古事記の「飛鳥」について(4)──「波流岐」は「PRXA」

日本での「済」の用法の多くは「済む」の意味であり、きれいさっぱりとした状態になることを言う。その意味において、「済」は「清」に通じる。その「済」(允恭天皇)の宮都が「遠飛鳥」である。一般に大和の飛鳥と捉えられている。 日本書紀の安閑天皇の御…

古事記の「飛鳥」について(3)

古事記の序文と本文の範囲を調べてみれば、天皇の宮都で「大宮」に作られるのは、序文における「飛鳥清原大宮」と「小治田大宮」、本文における「師木島大宮」、以上の三者に限る。テクスト論の立場では、この事実を押さえることこそ肝要である。現代風に言…

「Rohini」が「長育宿」に作られる道筋

二十八宿の【畢】に当たるインドのナクシャトラは「Rohini」。意味は「赤い」乃至「赤いもの」。ところが、大体において宿名を意訳に作る舍頭諫経において、その「Rohini」が「長育」とか「長養」に作られている。これは、サンスクリットからの単なる翻訳で…

「狭井河」の「狭井」は「ZY」(ܙܝ)

釈日本紀所収の丹後国風土記逸文に、いわゆる浦島伝説が記されていることは有名だが、その中に「其七竪子者昴星也、其八竪子者畢星也」と出てくる。「昴」は七人、「畢」は八人、という話だが、西洋においても「昴」(プレアデス)は「七人の娘」として知ら…