古事記固有名詞中の「諸」は「勾」に重なる

 古事記の「諸」の用例を調べてみると、特に変わった用法は見られない。固有名詞を除けば、「いくつかあるものの総体」(時代別国語大辞典)の意。たとえば連体修飾語として「諸家」「諸人」「諸神」「諸魚」と出てきたり、連用修飾語として「諸咲」(もろもろわらふ、「皆笑う」の意)と出てきたりする。


   (1)此者坐御諸山上神也。
   (2)此天皇、娶姪忍鹿比売命、生御子、大吉備諸進命。
   (3)於御諸山拝祭意富美和之大神前。
   (4)天皇、聞看日向国諸県君之女、名髪長比売、其顔容麗美
   (5)此清日子、娶当摩之竎斐、生子、酢鹿之諸男。
   (6)又、娶上云日向之諸県君牛諸之女、


 それに対し、固有名詞に含まれる「諸」(上記に列挙)は、とりたてて「皆」という意味を帯びているわけでもない。いわゆる借訓表記と見るべきだろう。訓を借りているだけだから、ひとまず固有名詞中の「諸」は、意味を特定できない「モロ」として其処に在る、ということになる。言わば記号である。では、その記号としての「諸」は、何を標示しているのか。


   ・「御諸山」=「美和山」=「三勾山」ならば、「諸」は「三勾」ないし「勾」。
   ・「勾大兄皇子」(安閑)の「勾」(makara)は、中国の二十八宿の「牛」。


 最初に押さえるべきは、どのように読んでも、「美和山」に当たる山を「御諸山」に作っていると見るしかない、という点である。その場合、古事記において、「美和山」の「美和」の由来が「三勾」である以上、やはり「御諸山」の「御諸」の由来も「三勾」である。「御諸」という表記において、「御」は美称として機能していると見る場合、「諸」は「三勾」ということになる。一方、「御」(ミ)は「三」(ミ)に充てていると見る場合、「諸」は単に「勾」ということになる。いずれにせよ、「諸」は「勾」に重なるものとして位置づけられていると言えよう。


   ・「大吉備諸進」……母の「忍鹿比売」が名前に「鹿」を含む
   ・「酢鹿之諸男」……名前に「鹿」が同居している
   ・「諸県君牛諸」……名前に「牛」が同居している


 さて、古事記において「勾」という表記は、「makara」(牛)や「MQWRA」(觜)を標示するものとして在る。その点については、7月12日の【「山辺道勾之岡上」(崇神陵)の「勾」は「ܡܩܘܪܐ」】の稿で述べた。摩登伽経は中国の宿名を流用して「觜」に作るが、原則として意訳を旨とする舍頭諫経は「Mrigasiras」を「鹿首」に作る。「mriga」(鹿)と言えば、それは「Mrigasiras」(鹿首)を意味する。つまり、「勾」という表記は、「牛」や「鹿」を標示するものとして在る。
 古事記の固有名詞中の「諸」も、同じように「makara」(牛)や「MQWRA」(觜)を標示するものとして在る、ということではないか。名前に「諸」を含む人物は「大吉備諸進」「酢鹿之諸男」「諸県君牛諸」の三名だが、まず一人目は母が名前に「鹿」を含み、二人目は自身が名前に「鹿」を含み、三人目は自身が名前に「牛」を含む。このような在り方は、「諸」という表記、それ自身が「牛」あるいは「鹿」を標示することとの関係において捉えるべきだろう。

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