「和迩吉師」の「和迩」は「makara」(磨竭宮)

 古事記において「大物主」が登場するのは神武天皇条と崇神天皇条だが、特に「美和之大物主」の「美和」が「三勾」に由来することを説くのは崇神天皇条である。その一方で、崇神天皇の陵墓は「山辺道勾之岡上」に作られる。「勾」の岡の上である。「makara」(鰐)を標示する「勾」が崇神天皇条に現れる意味合いは、7月12日の【「山辺道勾之岡上」(崇神陵)の「勾」は「ܡܩܘܪܐ」】の稿で述べた通り。「三勾」の「勾」に関しても、「makara」(鰐)を標示しつつ、「MQWRA」(觜)を標示していると見てよい。


   旦時に見れば、針に著けたる麻は、戸の鈎穴より控き通り出で、唯に
   遺れる麻は、三勾のみなり。爾くして、即ち鈎穴より出でし状を知りて、
   糸に従ひて尋ね行けば、美和山に至りて、神の社に留りき。故、其の
   神の子と知りき。故、其の麻の三勾遺りしに因りて、其地を名づけて
   美和と謂ふぞ。       [古事記崇神天皇条]


 さて、その「三勾」だが、新編全集などで「三巻」(ミマキ)と訳される。「巻く」は四段動詞だから、「三巻」(ミマキ)の「キ」は甲類相当である。しかし、「御真木入日子印恵」(崇神天皇の和風諡号)の「御真木」(ミマき)の「き」は乙類相当である。こういう場合に、いわゆる掛詞が成立するかどうか。一般的には難しい問題だが、事実として、「三巻」であるところの「三勾」の説話が「御真木天皇」の条に配置されている。この点は押さえておきたい。


   故、命を受けて貢上りし人の名は、和迩吉師。即ち論語十巻・千字文
   一巻、并せて十一巻を、是の人に付けて即ち貢進りき。 〈此の和迩
   吉師は、文首等が祖ぞ。〉       [古事記応神天皇条]


 百済国から「和邇吉師」が貢上される場面では、「論語十巻」と言い、「千字文一巻」と言い、「并せて十一巻」と言い、都合三回、「巻」(マキ)が繰り返される。ここは「巻」(マキ)が三回繰り返されることにおいて、「三巻」(ミマキ)であるところの「三勾」が想起される箇所である。ところが、「和邇」という表記は、この箇所を除けば、すべからく動物の「鰐」である。その「鰐」が「makara」(勾)であるならば、この箇所の「和邇」も「makara」(勾)である。つまり、「makara」(勾)について述べる箇所だからこそ、「巻」(マキ)を三回繰り返し、「三勾」を想起させる。そういう述法だろう。併せて押さえておきたい。

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