「伊那毘」(印南)は牛宿の和名

 古事記の「勾」は一方において「牛」を標示し、一方において「鹿」を標示する。その場合、いずれをも含む形で存在する「針間牛鹿臣」に注目しないわけにはいかない。系譜上の位置づけ(孝霊記に記載)を以下に整理しておく。「若日子建吉備津日子」は単に「若建吉備津日子」にも作られる。


   ・「日子寤間」と「若日子建吉備津日子」は同母兄弟。
   ・この兄弟の母は「蠅伊呂杼」(阿礼比売の妹)。
   ・「若日子建吉備津日子」は「吉備下道臣・笠臣」の祖。
   ・「日子寤間」は「針間牛鹿臣」の祖。


 ところが、景行記に「吉備臣等之祖、若建吉備津日子之女、名針間之伊那毘能大郎女」と出てくる。いわゆる異世代婚(世代が合わない形での婚姻)の例は古事記にいくつか見られる。したがって、この箇所の「若建吉備津日子」は孝霊記の「若建吉備津日子」と見てよい(新編全集の頭注)。


   ・「針間之伊那毘能大郎女」は「蠅伊呂杼」の孫娘……「伊那毘」は「牛」
   ・「針間牛鹿臣」も同じく「蠅伊呂杼」の後裔


 つまり、「針間之伊那毘能大郎女」と「針間牛鹿臣」は、血縁においても地縁においても非常に近しい関係にある(古事記というテクスト上のこと)。「伊那毘」は萬葉集などの「印南」に当たる地名だが、「伊那毘」と「印南」の違いは、b音とm音の違いであり、共時的な音韻交替と見てよい。その一方、近世の資料などで知られる二十八宿の【牛】の和名は「いなみ星」。
 二十八宿の和名の初出に関しては殆ど研究が進んでいないが、「牛鹿臣」という表記には「makara」(牛宿)や「MQWRA」(觜宿)が表出されている。その「牛鹿臣」に近しい存在として位置づけられる以上、「伊那毘之大郎女」の「伊那毘」について、これを二十八宿の【牛】の和名と見るのは無理がないだろう。

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