古事記の「飛鳥」について(4)──「波流岐」は「PRXA」

 日本での「済」の用法の多くは「済む」の意味であり、きれいさっぱりとした状態になることを言う。その意味において、「済」は「清」に通じる。その「済」(允恭天皇)の宮都が「遠飛鳥」である。一般に大和の飛鳥と捉えられている。
 日本書紀安閑天皇の御名代の記事における「牛」が二十八宿の【牛】であれば、自動的に倭の五王の「讃・珍・済・興・武」は【翼・軫・角・亢・氐】ということになる。つまり、「済」(允恭天皇)は【角】ということになるが、摩登伽経は「角主飛鳥」(角を主るのは飛鳥)とする。【虚】の形が「飛鳥」である以上、「角主飛鳥」の「飛鳥」は【虚】に読み替えられる。
 その【虚】に当たる欽明天皇の宮都を古事記は「師木島大宮」に作り、「飛鳥清原大宮」に関連づけている。ここで「飛鳥清原」の「清」は「済」に通じる。そして、もちろん「飛鳥清原大宮」も、一般に大和の飛鳥と捉えられている。


   【角】摩登伽経「角主飛鳥」→「遠飛鳥宮」。いわゆる倭の五王の「済」。
   【虚】摩登伽経「形如飛鳥」→「師木島大宮」。linked to「飛鳥清原大宮」。


 そうしてみると、月宿の【虚】の形が「飛鳥」であることが前提にあって、初めて「遠飛鳥」の「飛鳥」は「飛鳥」なのだろう。そこで問題となるのは、【虚】に該当する欽明天皇の和風諡号である。日本書紀は「天国排開広庭」に作り、古事記は「天国押波流岐広庭」に作る。どうして古事記は「波流岐」の部分だけ音仮名に作るのか。
 日本書紀の「排開」という表記は、「排し開き」という語句として理解し得るが、逆に言えば、意味が限定的になる。それに対し、古事記の「押波流岐」という表記は、「波流岐」の部分の意味が特定できない。「開き」と読んでもよいが、それ以外の読みを決して否定していない。


   ・見出し語……「PRX」
   ・能動分詞……「PRX」「PRXA」
   ・意味……a)to fly, flee (as birds, arrows &c.)
          b)to float, crawl
          c)to spread (as a sore, leprosy, poison, as a rumour);
            to pervade, become prevalent
   ・方言形……「PRWXA」「PRWXWTA」「PRXA」など


 ところが、シリア語に「PRX」という語があり(動詞)、その派生語に「PRXTA」という語がある(名詞)。前者は「飛ぶ」などの意。後者は「飛ぶ鳥」などの意。「形如飛鳥」の「飛鳥」の背景に、これらの語があるとすると、「押波流岐」の「波流岐」は「PRX」(方言形に「PRXA」もある)の可能性が出てくる。同じ「PRX」に「to spread」などの意味もある点に鑑みれば、尚更その可能性が高い。
 形が「飛鳥」であるところの月宿の【虚】に該当する天皇が「波流岐」に作られるのは、結局のところ「飛鳥」が「波流岐」(PRX)と読めるからだろう。逆に言うならば、「波流岐」を名前に持つということは、「飛鳥」を名前に持つということである。それは欽明天皇が月宿の【虚】であることに見合っている。「アスカ」から離れたように見えるが、そうではない。

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