古事記の「飛鳥」について(3)

 古事記の序文と本文の範囲を調べてみれば、天皇の宮都で「大宮」に作られるのは、序文における「飛鳥清原大宮」と「小治田大宮」、本文における「師木島大宮」、以上の三者に限る。テクスト論の立場では、この事実を押さえることこそ肝要である。現代風に言うならば、「大宮」というコード(つまりは文字列)により、三者は相互にリンクされているわけだが、さしあたり欽明天皇の「師木島大宮」が「飛鳥清原大宮」にリンクされる道筋は分かりやすい。
 天皇の順列と二十八宿の順列の対比において、欽明天皇は「虚」に当たる。その「虚」について、摩登伽経は「形如飛鳥」(形は飛ぶ鳥の如し)と記す。欽明天皇の形は「飛鳥」なのだ。このことがあるからこそ、「飛鳥清原」にリンクするという手法を用いて、欽明天皇を「飛鳥」に関連づけているのだ。然るに、考えてみるべきは、単なる「飛鳥」ではなく、「飛鳥清原」に関連づけている以上、その意味合いが何らか存在するということである。


   ・応神「星」
   ・仁徳「張」
   ・履中「翼」讃
   ・反正「軫」珍
   ・允恭「角」済……摩登伽経「角主飛鳥」:遠飛鳥宮
   ・安康「亢」興
   ・雄略「氐」武
   ・清寧「房」
   ・顕宗「心」………摩登伽経「其形如鳥」:近飛鳥宮
   ・仁賢「尾」
   ・武烈「箕」
   ・継体「斗」
   ・安閑「牛」(makara)
   ・宣化「女」
   ・欽明「虚」………摩登伽経「形如飛鳥」:師木島大宮〜飛鳥清原大宮
   ・敏達「危」
   ・用明「室」
   ・崇峻「壁」
   ・推古「奎」


 さて、「讃・珍・済・興・武」が「翼・軫・角・亢・氐」とすると、「済」の宮都が「遠飛鳥宮」ということになるが、日本での「済」の用法の多くは「済む」という意味。きれいさっぱりとした状態になることを言う。その意味において、「済」は「潔斎」に通じる。あるいは「飛鳥清原」の「清」にも通じる。
 その「清」が問題である。現在は、「清い」(キヨい)とも「清々しい」(スガスガしい)とも読むが、類聚名義抄の「清」の倭訓の中に、現在の「スガスガしい」に該当するものは見当たらぬ。「須佐之男」が「須賀」の地に宮を作った話が古事記に出てくるが、その箇所でも「スガ」という語は常に音仮名表記されており、「スガスガし」という言葉が漢字の「清」に結びつけられていない。


   ・「清」……キヨシ、スメリ、シツカナリ、ハラフ、
          イサキヨシ、ヲサム、ススム、サムシ、カハヤ


 日本書紀の場合は「遂到出雲之清地焉」に作り、「清地此云素鵝」(ここで素鵝は音仮名)の注を施す。「吾心清清之」に作り、「此今呼此地曰清」の注を施す。即ち、日本書紀は「スガスガし」の「スガスガ」に「清清」を充てており、漢字の「清」を「スガし」と読む倭訓が成立していたようにも見える。が、この訓詁は類聚名義抄に反映されていない。一般には浸透していなかったのだろう。
 口語の中に残る「スカっとする」の「スカ」は、やはり「スガスガし」の「スガ」に通じる言葉であり、「スカっとする」の「スカ」にせよ、「スガスガし」の「スガ」にせよ、現在の日本語としては極めて一般的である。また、古事記に「スガスガし」と出てくる以上、これは、古事記筆録時点において既に日本に存在した言葉である。にも拘らず、漢字との対応が形成されにくかった、ということか。

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