2009-07-07から1日間の記事一覧

古事記の「飛鳥」について(4)──「波流岐」は「PRXA」

日本での「済」の用法の多くは「済む」の意味であり、きれいさっぱりとした状態になることを言う。その意味において、「済」は「清」に通じる。その「済」(允恭天皇)の宮都が「遠飛鳥」である。一般に大和の飛鳥と捉えられている。 日本書紀の安閑天皇の御…

古事記の「飛鳥」について(3)

古事記の序文と本文の範囲を調べてみれば、天皇の宮都で「大宮」に作られるのは、序文における「飛鳥清原大宮」と「小治田大宮」、本文における「師木島大宮」、以上の三者に限る。テクスト論の立場では、この事実を押さえることこそ肝要である。現代風に言…

「Rohini」が「長育宿」に作られる道筋

二十八宿の【畢】に当たるインドのナクシャトラは「Rohini」。意味は「赤い」乃至「赤いもの」。ところが、大体において宿名を意訳に作る舍頭諫経において、その「Rohini」が「長育」とか「長養」に作られている。これは、サンスクリットからの単なる翻訳で…

「狭井河」の「狭井」は「ZY」(ܙܝ)

釈日本紀所収の丹後国風土記逸文に、いわゆる浦島伝説が記されていることは有名だが、その中に「其七竪子者昴星也、其八竪子者畢星也」と出てくる。「昴」は七人、「畢」は八人、という話だが、西洋においても「昴」(プレアデス)は「七人の娘」として知ら…

古事記の「少女」について

古事記の以下の場面は、「大毘古命は北陸平定のために派遣されたが、途中山城の幣羅坂で不思議な歌を歌う乙女に出会う。そこで大毘古命は取って返し、崇神天皇にこのことを報告すると、天皇は建波邇安王の反逆の兆候と判断し、早速追討の軍勢を派遣すること…