初代天皇の数字について

 セム系の言語やギリシャ語などにおいては、アルファベットによる記数法が用いられる。シリア語においても、「A、B、G、……、θ」が「1、2、……、9」として用いられ、「Y、K、……、C」が「10、20、……、90」として用いられ、「Q、R、Σ、T」が「100、200、300、400」として用いられる。例えば「123」であれば、「QKG」と綴る。「222」であれば、「RKB」と綴る。
 ところが、仮に「QAKQA」という言葉があったとすると、「Q」は「100」で、「A」が「1」で、「K」は「20」だから、「100+1+20+100+1」と計算され、「QAKQA」の数価は「222」ということになる。仮に「RKB」が「RKB毎日放送」の略号、「QAKQA」の音写が「閣下」であれば、いずれも「222」という意味において、「閣下」という言葉が「RKB毎日放送」の別称に成り得る。
 全く同じではないが、数字の計算を背景に持つ表記が日本の萬葉集にも見られる。たとえば「鹿」や「猪」を意味する「しし」という語が、時として「十六」に作られる。この表記の前提には、言うまでもなく九九がある。「4×4」が「16」だからこそ、「しし」が「十六」と表記し得るのである。このような表記を含めて、いわゆる宛字的なものを一般に戯書(ざれがき)と呼んでいる。
 さて、問題は、日本の数え方である。生まれた瞬間を「一歳」と数え、それから一年を経た時点を「二歳」と数える。そういう数え方である。要するに座標軸の原点を「一」とする数え方だが、この場合、数学で言うところの単位元(identity element)は「二」であって、「一」ではない。つまり、満1歳が満A歳だとすれば、この「満A歳」は「二歳」であって、「一歳」ではない。


    ・月宿としてのアルファベット(7月6日の稿)……「昴・畢」は「W ・Z」
    ・「狭井河」の「狭井」は「ZY」(7月7日の稿)……「昴・畢」は「7・8」


 少なくとも日本の資料においては、シリア語のアルファベットを、この方式で数えているようである。仮に「Y・K・L」が「井・鬼・柳」であれば、自動的に「W ・Z」は「昴・畢」ということになる。このことは、7月6日の【月宿としてのアルファベット】の稿で述べた。ところが、7月7日の【「狭井河」の「狭井」は「ZY」】の稿で触れた通り、釈日本紀所収の丹後国風土記逸文に「其七竪子者昴星也、其八竪子者畢星也」と出てくる。「昴」は七人、「畢」は八人、という話だが、これ即ち、「W」は七人、「Z」は八人、という話である。


   ・神武「虚」…………… 0……「虚」の字義に合致する
   ・綏靖「危」…………… 1
   ・安寧「室」……A…… 2
   ・懿徳「壁」……B…… 3
   ・孝昭「奎」……G…… 4
   ・孝安「婁」……D…… 5
   ・孝霊「胃」……H…… 6
   ・孝元「昴」……W…… 7……丹後国風土記「七竪子者昴星」
   ・開化「畢」……Z…… 8……丹後国風土記「八竪子者畢星」
   ・崇神「觜」……X…… 9
   ・垂仁「参」……θ……10
   ・景行「井」……Y…… 20
   ・成務「鬼」……K…… 30
   ・仲哀「柳」……L…… 40
   ・応神「星」……M…… 50……「XMθA」は「PMθA」との掛詞


 何度も述べてきた通り、日本書紀安閑天皇の御名代の記事における「牛」が二十八宿の「牛」であれば、「讃・珍・済・興・武」(履中から雄略まで)は「翼・軫・角・亢・氐」ということになり、記紀が初代天皇に位置づける神武は「虚」ということにもなるが、ここで「W ・Z」が「7・8」であれば、「A」(安寧)は「2」ということになり、記紀が初代天皇に位置づける神武は「0」ということにもなる。
 もし「A」(安寧)が「1」とすると、並び順から必然的に神武は「マイナス1」ということになるが、「マイナス1」というような概念が既に知られていたかどうか疑問があるし、知られていたとしても、その「マイナス1」を初代天皇に位置づける意味が分からない。それに対し、「虚」であるところの存在(つまり神武)が「0」であるというのは、漢字の「虚」の字義に即して一定の合理性を持つ。また、此処から始めることは少なくとも不自然ではない。


   ・「5」………「XMΣ」……………「PMθA」(借用語
   ・「50」………「XMΣOSR」または「XMΣYN」
   ・「500」………「XMΣMAA」


 6月20日の稿においては、「品陀和気」の「品陀」は「XMθA」(瘤を意味する)の音写であり、数字の「5」を意味する「PMθA」(ギリシャ語に由来するシリア語)との掛詞であることを述べた。「W ・Z」が「7・8」であれば、並び順から必然的に「M」は「50」ということになるが、これも合理的である。
 シリア語の「5」は「XMΣ」で、「10」は「OSR」で、「100」は「MAA」。したがって、「50」は「XMΣOSR」に作られ、「500」は「XMΣMAA」に作られる。「50」が「五十」に作られ、「500」が「五百」に作られるのと、表記方式は同じである。しかしまた「50」は「XMΣYN」にも作られ、この場合、「XMΣYN」(50)は「XMΣ」(5)の単なる語尾変化に他ならない。「50」であるところの天皇が、「PMθA」(5)を念頭に置きつつ「XMθA」(これの漢字による音写が「品陀」)と呼ばれるのは、まったく理に適っている。

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