古事記の「飛鳥」について(6)──「八瓜」とは何か

 摩登伽経は【虚】に関し、「形如飛鳥」と記す。その【虚】に該当する欽明天皇の宮都は「師木島大宮」だが、「大宮」というコードにより、「飛鳥清原大宮」にリンクされている。したがって、摩登伽経の「形如飛鳥」の「飛鳥」は、より詳しくは「飛鳥清原」ということになるが、「清」(スカ)に通じるところの「飛鳥」(アスカ)は、「to bathe, wash oneself」(自身を清める)という意味のシリア語「SXA」のAphel態「ASXY」(稀にASXA)と考えられる。
 摩登伽経は【角】に関し、「角主飛鳥」と記す。その【角】に該当する倭の五王の「済」(允恭天皇)の宮都は「遠飛鳥宮」だが、「遠飛鳥」という地名は説話の中において、「今日留此間、為祓禊而、明日参出、将拝神宮」という台詞から導き出されている。「SXA」の語義は「祓禊」に全く重なる。「為祓禊而、明日」という台詞から導き出される「遠飛鳥」の「飛鳥」(アスカ)は、まさしく「清」(スカ)に通じるところの「飛鳥」(アスカ)である。「飛鳥清原」の「飛鳥」(アスカ)と同じ語と見るべきである。以上は今までの考察の結論部分の要約。


   ・摩登伽経の【角】は「Citra」…………乙女座……中国の【角】に同じ
   ・魔登伽経の【虚】は「Dhanistha」……イルカ座……中国の「瓢瓜」「敗瓜」


 ところで、摩登伽経が【角】に作る月宿(Citra)は、中国の二十八宿の【角】に同じだが、摩登伽経が【虚】に作る月宿(Dhanistha)は、実は中国の二十八宿の【虚】に同じではない、ということがある。具体的に言えば、インドの「Citra」も中国の【角】も西洋で言う「乙女座」のα星(スピカ)だが、インドの「Dhanistha」は西洋で言う「イルカ座」であり、中国の【虚】は西洋で言う「水瓶座」のβ星である。摩登伽経は中国の宿名を流用しているに過ぎない。
 摩登伽経が【虚】に作る月宿(Dhanistha)は、中国の何に当たるかと言えば、「瓢瓜」と「敗瓜」に当たる。これを古事記は「八瓜之白日子」に作る。「瓢瓜」の菱形(四つの星)と「敗瓜」の菱形(四つの星)を合わせると、星の数として八個なので、「八瓜」に作るわけだ。一方の日本書紀は「八釣白彦」に作り、この「八釣」は高市郡明日香村の地名とされる。たしかに萬葉集に「八釣川」「矢釣山」とあり、奈良時代の木簡にも「八釣川上」と出てくる(但し「八」の部分は推定)。だが、これらの表記を古事記は採用していない。「八瓜」に作る古事記の独自性を見落としてはならない。


   亦、其の兄、白日子王に到りて、状を告ぐること、前の如し。緩へること
   も、亦、黒日子王の如し。即ち其の衿を握りて引き率て来て、小治田に
   到りて、穴を堀りて、立て随ら埋みしかば、腰を埋む時に至りて、両つの
   目、走り抜けて、死にき。        (古事記安康天皇条)


 7月7日の《古事記の「飛鳥」について(3)》の冒頭で述べた通り、古事記天皇の宮都で「大宮」に作られるのは、序文における「飛鳥清原大宮」と「小治田大宮」、本文における「師木島大宮」、以上の三者に限る。欽明天皇の「師木島大宮」が「飛鳥清原大宮」にリンクされる背景は十分に説明したが、なぜ「小治田大宮」にもリンクされるのか、その点が当然ながら問題になる。
 そこで注目されるのが旧辞部分の「小治田」である。「小治田」の出てくる説話は、後にも先にも此の箇所しかない。安康記において後の雄略天皇が「八瓜之白日子」を殺す場面である(上記引用)。ストーリー展開はともかく、「八瓜之白日子」を殺す場所として「小治田」は出てくる。
 ところが、ここで仮に「八瓜」が「イルカ座」ならば、それ即ち摩登伽経が【虚】に作る月宿(Dhanistha)であり、欽明天皇に該当する。その欽明天皇の「師木島大宮」が「小治田大宮」にリンクされることも、「八瓜之白日子」が「小治田」という場所で殺されることも、当然ながら古事記のテクスト上の設定である。二つの設定が同じ主旨に基づくことを理解すべきであろう。

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