奈良時代以前の月宿傍通暦
たとえば2008年の年末の月と星の位置関係だが、関西における実測において、12月12日(グレゴリオ暦)が満月で、15日に月が鬼宿(西洋で言うところの蟹座)に重なった。つまり旧暦で言えば、11月15日が満月で、11月18日に月が鬼宿に重なった。この場合、12月10日から12月20日までの実際の月は概ね以下のように動いていたわけだが、これは、「角月」を「二月」とする月宿傍通暦ではなく、むしろ「角月」を「三月」とする月宿傍通暦に一致する。
(G暦) (実際の月) (旧暦) (傍通暦) (傍通暦)
2008年 角月=二月 角月=三月
12月10日 昴 11月13日 参 昴
12月11日 畢 11月14日 井 畢
12月12日 觜(満月) 11月15日 鬼 觜
12月13日 参 11月16日 柳 参
12月14日 井 11月17日 星 井
12月15日 鬼(星食) 11月18日 張 鬼
12月16日 柳 11月19日 翼 柳
12月17日 星 11月20日 軫 星
12月18日 張 11月21日 角 張
12月19日 翼 11月22日 亢 翼
12月20日 軫 11月23日 氐 軫
どの年においても実際の天象が「角月」を「三月」とする傍通暦に近いというわけでもなく、年によっては「角月」を「二月」とする通常の傍通暦に近い場合もある。しかしながら、天文シミュレータを用いて各年の月と星の位置関係を調べてみると、割合においては、前者のケース(角月を三月とする傍通暦に近い場合)のほうが多い。以下の日本書紀の記事は、日本における記録上の最古の星食を示すものであり、「星入月」の「星」は、具体的には「アルデバラン」(畢宿)であることが判明している(斎藤国治『星の古記録』)。
十二月の己巳の朔にして壬午に、伊予湯湯宮に幸す。
是の月に、百済河の側に九重塔を建つ。
十二年の春二月の戊辰の朔にして甲戌に、星、月に入れり。
夏四月の丁卯の朔にして壬午に、天皇、伊予より至り、
便ち厩坂宮に居します。 (日本書紀・舒明天皇十一年条)
即ち、舒明十二年二月七日に畢宿が月に入った(月が畢宿を犯した)わけだが、この天象も実は「角月」を「三月」とする月宿傍通暦に一致している。さらにまた、法隆寺釈迦三尊像光背銘の一行目末尾に見られる「十二月鬼」の「鬼」に関し、これを二十八宿の一つである「鬼」と見る説がある。どのような意味で、二十八宿の一つである「鬼」の文字をこの箇所に刻んだのか。その点については現在まで論究がないが、「十二月」が「鬼月」(Pausha)だから、その意味で、「十二月」に続いて「鬼」と刻んだ(同格の名詞として)。そう見るのが素直だろう。「角月」を「三月」とする月宿傍通暦を以下に示しておく。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【月宿傍通暦】(但し左が一日)
一二三四五六七八九十111213141516171819廿212223242526272829卅
正月)虚危室壁奎婁胃昴畢觜参井鬼柳星張翼軫角亢氐房心尾箕斗女虚危室
二月)室壁奎婁胃昴畢觜参井鬼柳星張翼軫角亢氐房心尾箕斗女虚危室壁奎
三月)奎婁胃昴畢觜参井鬼柳星張翼軫角亢氐房心尾箕斗女虚危室壁奎婁胃
四月)胃昴畢觜参井鬼柳星張翼軫角亢氐房心尾箕斗女虚危室壁奎婁胃昴畢
五月)畢觜参井鬼柳星張翼軫角亢氐房心尾箕斗女虚危室壁奎婁胃昴畢觜参
六月)参井鬼柳星張翼軫角亢氐房心尾箕斗女虚危室壁奎婁胃昴畢觜参井鬼
七月)鬼柳星張翼軫角亢氐房心尾箕斗女虚危室壁奎婁胃昴畢觜参井鬼柳星
八月)張翼軫角亢氐房心尾箕斗女虚危室壁奎婁胃昴畢觜参井鬼柳星張翼軫
九月)角亢氐房心尾箕斗女虚危室壁奎婁胃昴畢觜参井鬼柳星張翼軫角亢氐
十月)氐房心尾箕斗女虚危室壁奎婁胃昴畢觜参井鬼柳星張翼軫角亢氐房心
11月)心尾箕斗女虚危室壁奎婁胃昴畢觜参井鬼柳星張翼軫角亢氐房心尾箕
12月)斗女虚危室壁奎婁胃昴畢觜参井鬼柳星張翼軫角亢氐房心尾箕斗女虚
※空海が招来した(とされる)宿曜経では、「角月」(Caitra)を「二月」とする。
※平安時代の具注暦(御堂関白記など)は、その宿曜経の傍通暦に基づく。
※十五日の宿が「角」(Citrā)である月を「角月」(Caitra)と言う(赤字参照)。