「手」(ܝܘܕ)の天皇は「伊予之二名島」に連なる

 月宿(lunar mansions)の体系には、二十八宿の体系と、【牛】を除いた二十七宿の体系がある。「28」は「4×7」であり、「27」は「3×9」である。したがって、主にセム系言語などに見られる九進法は、【牛】に数を充てないことにより、そのまま月宿に対応する。即ち、以下の通りである。


   ・【虚】神武&欽明……0
   ・【危】綏靖&敏達……1
   ・【室】安寧&用明……2……A……「師木津日子玉見」
   ・【壁】懿徳&崇峻……3……B
   ・【奎】孝昭&推古……4……G
   ・【婁】孝安(舒明)……5……D……御陵「玉岡上」、宮都「室之秋津島
   ・【胃】孝霊(皇極)……6……H
   ・【昴】孝元(孝徳)……7……W
   ・【畢】開化(斉明)……8……Z
   ・【觜】崇神(天智)……9……X
   ・【参】垂仁(天武)……10……Θ
   ・【井】景行(持統)……20……Y [手]
   ・【鬼】成務(文武)……30……K
   ・【柳】仲哀(元明)……40……L
   ・【星】応神(元正)……50……M
   ・【張】仁徳(聖武)……60……N
   ・【翼】履中……………70……S
   ・【軫】反正……………80……O
   ・【角】允恭……………90……P
   ・【亢】安康……………100……T
   ・【氐】雄略……………200……Q
   ・【房】清寧……………300……R
   ・【心】顕宗……………400……Σ
   ・【尾】仁賢……………500……十
   ・【箕】武烈……………600
   ・【斗】継体……………700…………皇后「白髪」
   ・【牛】安閑……………なし(750)
   ・【女】宣化……………800


 さて、今回は「手」について考えてみよう。古事記帝紀部分(天皇の系譜や宮都や御陵に関する記事など)において、天皇と皇后(ここで言う皇后は、天皇の妻であり、且つ次の天皇の母である人物)の名前を調べてみると、「手」を負うのは、天皇においては「師木津日子玉見」(安寧)、皇后においては「白髪」(継体の皇后)に限る。前者は【室】に当たり、後者は【斗】に当たる。
 次に宮都と陵墓を調べると、孝安天皇の御陵が「玉岡上」に作られているが、その孝安天皇の宮都は「葛城室之秋津島宮」である。ここで孝安天皇に固有の地名は「室之秋津島」。つまり、この箇所においても「手」は、月宿の【室】に関連するものとして提示されていると見ることができよう。
 そうしてみると、古事記帝紀部分の全体の中で、「手」という文字は、第一に【室】に繋がるものとして提示され、第二に【斗】に繋がるものとして提示されている、ということになるだろう。このことの意味は何だろうか。


   ・【室】は「A」………「玉見」(手はY)……「片塩浮穴宮」「橘之豊日」
   ・【斗】………………「白髪」(手はY)……「三島之藍陵」


 アルファベットには原義があり、それが分からなくなっているものも中にはあるが、「Y」は「手」ということで確定している。その「Y」を読む場合の綴りは「YWD」であり、発音を敢えて片仮名で記せば、「ィヨッド」である。ここで「ド」は日本語のような開音節ではない。したがって、日本人が聴いた場合には、「伊予」(これは音仮名表記)という感じに聴こえたかもしれない。
 そこで、「玉見」と「白髪」に含まれる「手」を「YWD」(伊予)に置き換えて読んでみると、古事記の「伊予国謂愛比売」(現在の愛媛県)という記述に行き当たる。というのは、【室】に当たる安寧天皇の宮都は「片塩浮穴宮」であり、【斗】に当たる継体天皇の御陵は「三島之藍陵」であり、それぞれ畿内と考えられているが、一方で、「浮穴」も「三島」も「伊予国」の古い地名として存在していたからである。しかも、【室】に当たる天皇は「玉見」だけでなく、他にも「橘之豊日」がいる。「橘」とは蜜柑のことだが、愛媛の蜜柑は、今に至るまで特産品として有名である(これも古くからのこと)。
 古事記の「愛比売」の箇所には「此三字以音」云々という音注があって、「愛」の部分も字音で読むべきことが知られ、「エヒメ」でよいが、「愛」の日本に定着した漢字音としては、「アイ」(介音を受け止めた音形)も存在する。音と訓の違いはあるにせよ、「愛」(アイ)は「藍」(アヰ)に通じる。その意味において「三島之藍陵」の「藍」は「愛比売」(伊予国)を想起させるものと言える。この点も見逃すわけにはいかない。


   室有二星。形如人歩。一日一夜。与月共行。
   血肉祠祀。其宿属在富単那神。姓闍罽那。(摩登伽経)


 ところが、摩登伽経を見てみると、月宿の【室】に関し、「其宿属在富単那神」と記している。ここで「富単那」は借音表記である。日本式に読めば、「ホタナ」ないし「フタナ」である。一方、古事記は「伊予之二名島」と記している。「二名」(フタナ)が「富単那」(フタナ)に重なる。つまりは、【室】の主宰神たる「富単那神」を念頭に置きつつ、古事記は「伊予之二名島」と記しているのである。
 さて、月宿とシリア語のアルファベットの対応において、そもそも【室】は「A」である。してみれば、「愛比売」(伊予国)の「愛」は、要するに、月宿の【室】であるところの「A」に対する“一つの読み”を示すものではないか。特に天皇に限ってみれば、「手」を名に負うのは「師木津日子玉見」に限る。その「手」(YWD)を名に負う安寧天皇が「A」であるという意味において、「伊予国」は「愛比売」と謂われるのである。「伊予」は「Y」の読みを示し、「愛」は「A」の読みを示す。


 [追記]ア行の「イ」とワ行の「ヰ」は異なる。しかし、7月7日の稿や7月9日の稿で述べた通り、「狭井」(佐韋)が「ZY」の音写だとすれば、「ヰ」の子音は相当に弱かったと考えられる。また、「藍」については新撰字鏡に仮名書き形で「阿井」と出てくるが、新撰字鏡の訓仮名の「井」がすべからく「ヰ」であるかどうかという問題もある。さらに言うと、上代特殊仮名遣いの甲乙が異なりつつ掛詞になっている例も少なからず知られており(たとえば最近では『萬葉』198号、蜂矢真郷氏の論文)、音価が少し異なる状況での掛詞は十分に有り得る。

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