古事記の「阿倍」について(1)

 既に「室月」(Bhādrapada)が「AB」(セム系の言語圏における月名の一つ)に当たり、これが日本で「秋八月」とされていることは述べた。その一方、そもそも「室月」という訳語は、満月の15日が【室】であるところの月(month)という意味である。月宿の【室】に当たるのは「A」だから、「室月」即ち「A月」である。ということは、「A月」が「AB」ということである。


   ・「A」(室宿)……「Pūrvabhādrapadā」(月宿の一つ)
   ・「B」(壁宿)……「Uttarabhādrapadā」(月宿の一つ)


 つまり、「A」が月宿(lunar mansion)を表す時は「Pūrvabhādrapadā」(室宿)を表し、「A」が月名(the name of month)を表す時は「Bhādrapada」(室月)を表すわけだが、「Bhādrapada」に当たるのが「AB」(これは月名の一つ)である以上、「A」の月は「AB」ということである。さて、ここで注目すべきは、古事記の「阿倍之波延比売」という人物だろう。その長女が「若屋郎女」と記されている。


   又、娶阿倍之波延比売、生御子、若屋郎女。
   次、都夫良郎女。次、阿豆王。   (継体記)


 古事記の中で「若屋比売」と言えば、他にも「倭飛羽矢若屋比売」がいる。「倭飛」という文字列からは、雄略記の本文中に「爾、蛧昨御腕、即蜻蛉来、昨其蛧而飛」とあり、歌謡中に「夜麻登能久尓袁 阿岐豆志麻登布」(倭の国を蜻蛉島と言う)とあることが想起されるが、この説話は実のところ「AB」に言及するものであった(8月21日の稿を参照)。


   師木津日子玉手見命、坐片塩浮穴宮、治天下也。
   此天皇、娶河俣毘売之兄、県主波延之女、阿久斗
   比売、生御子、(以下略)          (安寧記)


 それよりなにより、「阿倍之波延比売」と名前が共通する「県主波延」が先ず安寧記に出てくる点は見逃せない。古事記の人名中、「ハヱ」は「蝿」に作られることもあるが、音仮名表記の「波延」は、この二者に限る。安寧天皇に当たるのが他ならぬ「A」であってみれば、古事記において「波延」は先ず「A」に関わるものとして提示されているのである。その場合は当然ながら、「阿倍之波延比売」も「A」に関わると見なければならない。


   ・「A」に当たる天皇の父は「建沼河耳」(神沼河耳)
   ・「阿倍臣」などの祖は「建沼河別」


 しかも、一方において「A」に当たる安寧天皇の父は「建沼河耳」(神沼河耳)であり、一方において「阿倍臣」などの祖は「建沼河別」である。即ち、「建沼河」という名前を媒介として、「阿倍臣」は「A」に当たる安寧天皇に関連づけられているのである。「阿倍」は「AB」の“読みの一つ”と考えざるを得ない。

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