舒明天皇の和風諡号について
古事記は推古天皇の帝紀的記事で終わっており、舒明天皇については敏達天皇の帝紀的記事中に「坐岡本宮治天下之天皇」と出てくるに過ぎない。しかし、日本書紀によれば、舒明天皇の和風諡号は「息長足日広額」であり、名前に「息長足」(息長帯に同じ)を含む。さしあたり月宿の並び順と天皇の並び順の対応から言えば、その舒明天皇は【婁】に当たる。
・【室】(A=2)……安寧、用明
・【壁】(B=3)……懿徳、崇峻
・【奎】(G=4)……孝昭、推古
・【婁】(D=5)……孝安、舒明(息長足日広額)
さて、【婁】に当たるシリア語のアルファベットは「D」だが、その「D」も「AB」も数価は「5」である。だからこそ、「AB」(セム系の文化圏における月名の一つ)であるところの「室月」(秋八月)を念頭に置きつつ、【婁】に当たる孝安天皇の宮都が「室之秋津島宮」に作られる(8月21日の稿を参照)。
ところが、「5」は「PMΘA」(ギリシャ語からの借用語)であり、「XMΘA」(品陀)に通じる。そうである以上、「品陀和気」の母が「息長帯比売」であるという事柄と、「PMΘA」に当たる舒明天皇が「息長足」を名に負うという事柄とは、大いに関係していると言わざるを得ない。