於姓「日下」謂「玖沙訶」(ܚܫܘܟܐ)

 古事記において、「闇」という文字は、10箇所に出てくる。そのうちの3箇所は、「天石屋戸」の場面(天照大御神が天石屋戸の内に隠れる場面)であり、残りの7箇所は、実のところ固有名詞中である(以下に列挙)。


  【上巻】天之闇戸神国之闇戸神闇淤加美神闇御津羽神闇山津見神
  【中巻】沙本之大闇見戸売
  【下巻】なし


 古事記中、「闇」を含む神名が5つ。「闇」を含む人名が1つ。つまり、古事記に登場する人間で、名前に「闇」を負うのは「沙本之大闇見戸売」のみ。少なくとも人間の範囲では、「闇」と言えば、「沙本之大闇見戸売」なのである。このことは重要だろう。その「沙本之大闇見戸売」の子の「沙本毘古王」が、「日下部連」の祖とされるからである。古事記というテクスト上、「闇」の子が「日下部連」の祖とされるのである。


  ・《母》 沙本之大闇見戸売……「闇」を含む唯一の人名
  ・《子》 沙本毘古王……日下部連・甲斐国造の祖


 古事記の序文に、「亦、於姓日下謂玖沙訶、於名帯字謂多良斯、如此之類、随本不改。」とあることから、「日下」は「玖沙訶」と訓む。一般に、この「玖沙訶」は倭訓と捉えられる。しかし、「クサカ」という倭語は知られていない。
 その一方、シリア語の「XΣWKA」には「dark」(adj.)や「darkness」(n.)の意味がある。「玖沙訶」という音仮名表記は、「XΣWKA」に対するものである。そう考えてみると、「闇」(XΣWKA)の子が「日下部連」という系譜上の位置づけも非常に合点が行くだろう。


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(補足1)
 「天石屋戸」の場面を見ると、まず地の文に「高天原皆暗、葦原中国悉闇。」とあり、その後、発話文に「因吾隠坐而、以為天原自闇、亦葦原中国皆闇矣、」とある。訓字として「闇」と「暗」は通用されており、これらは「dark」(暗い)の意味と見てよかろう。


(補足2)2011年5月5日
 上代文学の学問分野で、雄略記に出てくる「日下」が何処かということが問題になっている。いわゆる日下越えが、どのルートかという問題である。暗峠(くらがり峠)を越えると、現在の枚岡神社のあたりに出て、現在の日下には出ない。しかし、そもそも「暗」は「XΣWKA」(日下)と訓める。暗峠は日下峠なのだ。したがって、このルートが日下越えと考えてよい。此処からならば、「シキ」方面の古墳がギリギリ見える(実際に見て確かめた)。


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