2009-08-22から1日間の記事一覧

「三島湟昨之女」の「富登」と「美富登」(安寧陵)

次に、「富登」について考察する。意味が女性の陰部であることはよい。問題は、どこに出てきて、どのように機能しているかだ。以下の説話が有名である。ここで「三島湟昨」は人名だが、古事記の「三島」は、この箇所と、継体天皇の「三島之藍陵」の箇所に限…

月日の設定について(舒明天皇の伊予行幸)

日本書紀のそれぞれの記事については、実際に何らかの記録(いわゆる原資料の類)が残っていて、それが写されたケースもあるだろう。しかし、そうではないケース、日本書紀述作の時点において初めて書かれたケースも当然ながらあるだろう。一般論としては、…

「賦斗迩」の「廬戸宮」について

8月19日の稿と8月21日の稿で述べたことをまとめておこう。古事記の天皇のうち「手」を名に負うのは「玉手見」(安閑天皇)に限り、皇后のうち「手」を名に負うのは「手白髪」(継体天皇の皇后)に限る。前者は月宿の【室】に当たり、後者は月宿の【斗】に当…