枯野船(2)……「衝立船戸神」との関連

 なぜ作るものが「船」なのか、ということを考える場合、その材料である樹が、何の役割を果たす樹であったか、という点を押さえておく必要がある。より正確に言えば、何の役割を果たす樹として描かれているか、という点である。


   其の樹の影、旦日に当れば、淡路島に逮り、
   夕日に当れば、高安山を越えき。(古事記


 引用箇所は端的に言って、この「樹」がいわゆる日時計の役割を果たしていた、という描き方である。古事記の述作が為された当時、むろん既に周髀算経などに見られる「勾股弦」の知識は日本に入っていた。素朴な記述の背景に、その知識(述作者が当然のように持っていた知識)を読み取るべきだろう。


   周代にきめられた髀(=表、ノーモン)の長さは八尺であり、
   夏至の日には、表の影の長さが一尺六寸になる。髀は勾股弦
   の股にあたり、正午の影の長さは勾にあたる。(周髀算経)


 地面に垂直に立っているものが日時計になるという水準と、季節を計るために意図して髀を立てるという水準は、厳密には異なるにしても、古事記の「樹」は「股」に該当し、「樹の影」は「勾」に該当する。その場合、注目すべきは以下の禊祓の箇所である。


   故、投げ棄つる御杖に成れる神の名は、衝立船戸神
   次に、投げ棄つる御帯に成れる神の名は、道之長乳歯神
   次に、投げ棄つる御嚢に成れる神の名は、時量師神
   次に、投げ棄つる御衣に成れる神の名は、和豆良比能宇斯能神
   次に、投げ棄つる御褌に成れる神の名は、道俣神
   次に、投げ棄つる御冠に成れる神の名は、飽昨之宇斯能神。
   (……以下略……)              (古事記


 一連の出来事の中で「衝立船戸神」と「時量師神」と「道俣神」が成っている。日本書紀は「衝立船戸神」を単に「岐神」に作る。「岐神此云布那斗能加微」の訓注があり、「岐」は「フナト」(トは甲類)と読むべきことが分かる。「船戸」と「岐」の違いは、さしあたり表記の違いということになる。文献学的には断定できないが、民俗学的には「道俣神」は言うところの道祖神である(しばしば道の分岐点に祀られる)。また「岐神」に関しても、「岐」の字義から道祖神と見ることは可能である。男根の形で突き立つ巨石が「衝立フナト神」と呼ばれるのは、いかにも自然だろう。その一方、字義の面からも倭訓の面からも「岐」は「股」に通じる。


   ・「勾股弦」の「股」……「マタ」と読める
   ・「岐神」の「岐」……「マタ」と読める


 たとえば、楯築遺跡の巨石群などに関し、天文観測の機能を担っていたとする見方がある(但し証明されている事柄ではない)。目を日本以外に向ければ、イギリスのストーンヘンジなど、巨石群が天文観測に関わるとされる例は少なくない。いわゆる枯野船の説話において、「船」の前身は「一つの高き樹」であり、その「樹」は「髀」の役割を担っていた。即ち、前身が「髀」であるところのものとして「船」は描かれている。この「船」が「船戸」という表記に反映しているとするならば、磐であるか樹であるかはともかくとして、「衝立船戸神」は「髀」(西洋で言うノーモン)ということになるだろう。一連の出来事の中で、「時量師神」(時を量ることに関わる神)も成っている点を見届けておきたい。


   故、是の樹を切りて作れる船は、甚捷く行く船ぞ。
   時に、其の船を号けて枯野と謂ふ。(古事記


 以上を要約すれば、次の通り。「衝立船戸神」が「髀」(ノーモン)であることを前提として枯野船の説話を読んでみれば、「髀」の役割を担っていた「樹」から「船」が作られるという物語展開は、要するに「衝立船戸神」であった「樹」から「船」が作られるという展開に他ならない。《「船戸」から「船」が作られる》という展開に他ならない。この展開の必然性は自明となる。なぜ作るものが「船」なのかという問題は、「衝立船戸神」の理解に全面的に依存している。



 (※古事記は、小学館新編日本古典文学全集より引用)
 (※周髀算経は、朝日出版社『中国天文学・数学集』より引用)


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