「品牟都(ܚܡܬ)和気」と「品陀(ܚܡܛܐ)和気」

 釈日本紀所引の上宮記に「凡牟都和希王、娶洷俣那加都比古女子名弟比売麻和加生児、若野毛二俣王」云々とある。これを古事記の系譜に照らし合わせてみれば、上宮記の「凡牟都和希」は紛れもなく応神天皇に当たる。「凡牟都」は「ホムツ」と読むしかない。応神天皇の名前を古事記は「品陀和気」、日本書紀は「誉田別」に作るが、「ホムツワケ」とする伝承もあったのだろう。その場合、垂仁天皇の御子であるところの「ホムツワケ」(品牟都和気)との関係が問われ、しばしば議論の対象となっている。


   ・「品牟都和気」……垂仁天皇の御子。旧辞部分では「本牟智和気」。
   ・「品陀和気」……応神天皇上宮記に「凡牟都和希」とある。


 極端な場合、一方の伝承から、もう一方の伝承が派生したとか、本来は同一人物とか言われるが、そのような議論はあまり意味がない。それぞれの名前の由来が古事記に明確に記されている。由来が全く異なる以上、ぞれぞれ異なる名前と言うしかないはずである。


   亦、天皇、其の后に命詔して言ひしく、「凡そ子の名は、必ず母の名くる
   に、何にか是の子の御名を称はむ」といひき。爾くして、答へて白ししく、
   「今、火の稲城を焼く時に当りて、火中に生めるが故に、其の御名は、
   本牟智和気御子と称ふべし」とまをしき。又、命詔せしく、「何か為てか
   日足し奉らむ」とみことのりしき。答へて白ししく、「御母を取り、大湯坐・
   若湯坐を定めて、日足し奉るべし」とまをしき。故、其の后の白しし随
   に、日足し奉りき。(垂仁記)


 「本牟智和気」の「和気」は、この名前に固有のものではなく、結局のところ、「火の中で生んだのだから、『本牟智』と名付けたらよい」と言っているのである。この状況は、どういう状況か。前段に「其の軍を廻して、急けくは攻迫めず。如此逗留れる間に、其の妊める御子を既に産みき」とある。少なくとも天皇稲城に火を放ったのではない。天皇は沙本毘売を連れ戻そうとする。それを沙本毘売は拒絶する。その拒絶する脈絡の中での「今、火の稲城を焼く時に当りて」という状況は、自ら稲城に火を放った状況だろう。自らの命を絶ち、兄に従う行為と見てよい。それと同時に、前段に見られる「若し此の御子を、天皇の御子と思ほし看さば、治め賜ふべし」という沙本毘売の台詞にも注目する必要がある(木花之佐久夜毘売の火中出産との共通性)。自ら火を放ち、炎に包まれ、熱さに息も絶え絶えの状態で、しかし夫の子だけは残そうとする。その子に、どういう名前を付けて欲しいと言っているのか。その名前は、この極限状況、あるいは極限状況における沙本毘売の思いを端的に表す言葉ではないか。
 ところが、「to be hot」(熱い)の意の動詞「XM」があり、「heat」(熱さ)の意の名詞「XMTA」がある。「XMTA DNWRA」は「the heat of the fire」(火の熱さ)。この「XMTA」には転じて「rage」(激しい怒り)「passion」(熱情)の意味もあって、「to burn with anger」という意味の動詞「XMT」を派生させる。さらに、そもそも動詞「XM」の方言形にも「XMT」や「XMTA」が存在する。「本牟智」にせよ「品牟都」にせよ、これらの言葉と見てよかろう。
 ここで重要なのは、「heat」(熱さ)を意味する「XMTA」と発音は異なるが、同じ綴りを持つ「XMTA」の語があり、「a mother-in-law」(育ての母)という意味を持っている点である。「本牟智和気と称ふべし」に続く沙本毘売の台詞は「御母を取り、(中略)日足し奉るべし」である。ここに言う「御母」(まさに育ての母)も、シリア語では「XMTA」なのだ。ということは要するに、引用部の一連の古事記の叙述は、子音対「XMT」を軸に展開されているのである。


   又、息長帯比売命を娶りて、生みし御子は、品夜和気命。次に、大鞆
   和気命、亦の名は、品陀和気命。此の太子の御名を大鞆和気命と
   負せし所以は、初め、生める時に、鞆の如き完、御腕に生りき。故、
   其の御名を著けき。(仲哀記)


 その一方、「品陀和気」という名前は「大鞆和気」の別名として記されている。そして、「大鞆」という名前に関しては、「最初に生まれた時から腕に『鞆の如き完』(鞆のように盛り上がった肉)が出来ていたから、『大鞆』と名付けた」という説明が為されている。問題は、このように説明される「大鞆」の別名に「品陀」(ホムダ)が成り得る理由である。
 ところが、「imposthume」「pustule」「breaking out」などの意味を持つ「XMθA」という語がある。要するに「腫れ物」の意。「瘤のようなもの」である。「鞆の如き完」は「瘤のようなもの」と言えるだろう。「品陀」が「XMθA」の音訳だとすれば、「大鞆」が「品陀」に言い換えられる脈絡は自ずから明らかである。この「品陀」(ホムダ)は、「heat」(熱さ)を意味する「XMTA」とは別の言葉である。


   ・「品牟都」または「本牟智」……該当するシリア語「XMT」
   ・「品陀」(上宮記に「凡牟都」)……該当するシリア語「XMθA」


 倭音化した音で見れば、「品牟都」も「凡牟都」も「ホムツ」である。倭音としての語形(音形)は、等しいと言ってよい。しかし古事記は、垂仁天皇の御子の名前の由来と、応神天皇の名前の由来をそれぞれに記している。由来を言わば書き分けている。である以上、両者は別の言葉と見るべきだろう。
 尚、「本牟智和気」の「本牟智」(ホムチ)に関しては、「火」を意味する「ホ」に尊称の「ムチ」を加えた語と解することもできる。「火の貴人」というような意味の名前は十分に有り得る。が、「本牟智」は「品(ホム)遅(チ)」にも作られる。尊称であるところの「ムチ」という語が、この表記においては分断されていることになる。音仮名表記とはいえ、尊称という認識があれば、このような分断は避けるのではないか。シリア語の場合、「XM」「XMT」「XMTA」などの語形において核にあるのは「XM」である。「品遅」という表記は、少なくとも語の核を成す「XM」の部分を分断していない。それよりなにより、自ら放った火に包まれ、拒絶の態度を取りつつ、夫の子供を産むという複雑かつ切迫した状況において、「火の貴人」と名付けるのでは、どこか空々しい。


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