「品太王五世孫」の必然性(ܦܡܛܐ)

 6月17日の「XNA」に関する考察、6月18日の「XMθA」などに関する考察が認められるとすると、シリア語の「X」で始まる語の多くは、その頭子音が、当時のハ行に写されていることになる。その一方、ここでは例は省略するが、シリア語の「P」で始まる語の多くも、当時のハ行に写されている。となると、以下の記事が非常に注目される。


   品太王の五世の孫、袁本杼命、伊波礼の玉穂宮に坐して、
   天の下を治めき。(古事記継体天皇条の冒頭)


 単に「王」としている点がやや問題になるにせよ、 釈日本紀所引の上宮記逸文などから、「品太王」は「品陀和気」(応神天皇)と見てよい。その場合、「袁本杼」が「品陀和気」から数えて「五世の孫」に当たることを主張する系譜なり伝承なりが実際に残っていたということかもしれないが、古事記の叙述において重要なことは、具体的な系譜を示すという形ではなく、わざわざ「品太王の五世の孫」という述べ方を採用している点である。そもそも古事記全体の中で、「何世の孫」という述べ方は極めて特異である。


   ・「XMθA」……「品太王」……「腫れ物」の意。「鞆の如き完」と説明。
   ・「PMθA」……「五世の孫」……数字の「5」の意。


 ところが、ギリシャ語「πεντε」に由来するシリア語「PMθA」は、他でもない数字の「5」の意。応神天皇の名前である「XMθA」(品太)が「PMθA」(五)を導き出しているのだとすれば、「四世」でも「六世」でもなく、この箇所は「五世」でなければならない。掛詞のような事柄が行われているのである。


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