「沙本」(ܫܚ)と「佐波遅」(ܣܗܕ)

 6月18日の稿では「品牟都和気」(本牟智和気)について述べた。続いて「沙本毘売」の「沙本」(サホ)だが、これに対応し得る子音対は「SH」「SX」「SP」「ΣH」「ΣX」「ΣP」と少なくない。このうち特に注目されるのは「ΣX」と言える。Payne Smithの『Syriac English Dictionary』に次の例文が載っている。この例文は偶然にも、自ら稲城に火を放ち、兄に殉ずる「沙本毘売」の姿に重なる。


   ΣX KLH BSRH MN NWRA
   (all his flesh was consumed by the fire.)


 「ΣX」という語の原義は「to melt」(溶ける)で、「be consumed」の他にも「to waste away」の意味がある。以下の叙述は、さながら「to waste away」である。「自ら落ち」とか「絶え」とか「破れぬ」とか言われる部分がそれに当たる。


   爾くして、其の力士等、其の御子を取りて、即ち其の御祖を握りき。爾く
   して、其の御髪を握れば、御髪、自ら落ち、其の御手を握れば、玉の緒、
   且絶え、其の御衣を握れば、御衣、便ち破れぬ。(垂仁記)


 ところが、Pael態の「ΣYX」は「to attempt」(企てる)の意味でも使われ、さらにAphel態の「AΣYX」は「OL」(〜に対して)を伴って「to defy」(反抗する)の意味でも使われる。「沙本毘売」が、悉く髪を剃り、その髪で頭を覆い、玉の緒を腐らせて手に巻き、酒で衣を腐らせておいたのは、天皇のところへは戻らないという強い意志の現れ(つまりは反抗)であってみれば、この行為それ自体が、「ΣX」という言葉から派生していると言えるだろう。


   又、春日建国勝戸売が女、名は沙本之大闇見戸売を娶りて、生みし
   子は、沙本毘古王。次に、袁耶本王。次に、沙本毘売命、亦の名は、
   佐波遅比売〈此の沙本毘売命は、伊久米天皇の后と為りき〉。次に、
   室毘古王〈四柱〉。(開化記)


 さて、その「沙本毘売」は「佐波遅比売」という別名を持つ。これは何か。「to witness」(証言する)という意味の動詞「SHD」があって、この語には「to suffer martyrdom」の意味もある。加えて、名詞「SHDW」についても、「witness」(証言)「confession」(白状)などの他に「martyrdom」(殉死)の意味がある。物語の冒頭、「如此夢みつるは、是何の表にか有らむ」と天皇に尋ねられ、「沙本毘売」は「不応争」(抗弁できない)と思い、兄の企みを白状する。そのように白状しておきながら、結局のところ、「沙本荼毘」は兄に従う(即ち殉死する)。このような物語の展開は、「SHD」という語がそう展開させているのである。


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