「星神香香背男」の「香香背」は音仮名(ܟܘܟܒ)

 日本書紀に使用される音仮名に関しては、最近では森博達氏の論(いわゆるα群・β群)が有名になったが、尚、それぞれの巻の字種にも着目する必要がある。特に訓注に関しては、かつて西宮一民氏が巻三の字種の特異性などについて指摘した経緯も忘れてはならない。再検討を要す。そのことはさておき、巻三の訓注に次のようなものがある。


   并せて厳瓮を造りて、天神地祇を敬祭り、
   〈厳瓮、此には怡途背と云ふ。〉……「背」は「へ」または「べ」


 ここで「怡途背」の部分は、「イツへ」(へは乙類)という語形に対し、音仮名を充てている箇所と解されるが、「背」と同じ〈幇〉母字を調べる(歌謡の範囲)と、濁音に充てている例も見つかる。α群の巻十四に「農播拖磨能」(ぬば玉の)とあり、β群の巻廿二に「多比等阿波礼」(旅人あはれ)とある。後者については、旅人(タビと)ではなく田人(タヒと)とする説も通行しており、一応その点が問題にはなろうが、「イツべ」の可能性も無いとは言い切れない。


   是に二神、諸の順はぬ鬼神等を誅ひ、〈一に云はく、二神、遂に邪神と
   草・木・石の類を誅ひ、皆已に平け了へぬ。其の服はぬ者は、唯星神
   香香背男のみ。故、加倭文神建葉槌命を遣ししかば服ひぬ。故、二神、
   天に登るといふ。倭文神、此には斯図梨俄未と云ふ。〉 果に以ちて
   復命しき。(日本書紀巻二、神代下、第九段正文)


 さて、問題は、日本神話に出てくる唯一の星神、などと言われる「香香背男」だ。四文字のうち最後の「男」は訓字と見てよい。「ヲ」と読むしかない。そして、残りの「香香背」の箇所は従来から訓仮名と捉えられ、「カカセ」ないし「カガセ」と読まれてきた。
 しかし、そもそも「香り」を意味する「か」という倭語は、漢語の「香」に由来する字音語と見るべきである。古事記の「伊迦賀色許売」を日本書紀は「伊香色謎」に作る。この場合、「香」は「カガ」の二音節に充てられている。萬葉集の「香山」の場合、「カグ」の二音節に充てられている。もちろん「香」は「カ」の一音節にも使われる。「香」が「カ」にも「カガ」にも「カグ」にも使われる在り方は、むしろ「-ng韻尾字が略音仮名としても二合仮名としても使われる」という現象として捉えるべきである(有韻尾字の使用状況に関しては尾山慎氏が詳しい)。


   ・「麻須良男」(○○○男)……「○○○」の部分は音仮名(確定)
   ・「香香背男」(○○○男)……「○○○」の部分は音仮名の可能性も


 一方、たとえば萬葉集において「ますらを」は、「健男」や「益卜雄」にも作られるが、「麻須良男」や「麻須良雄」にも作られる。ここで注意すべきは、「麻須良男」という表記において、「男」の部分は訓字、「麻須良」の部分は音仮名、という点である。「○○△男」という四文字の表記において「○○」の部分が音仮名である時に、それでも「△」の部分が訓仮名であるケースも考えてよいが、「麻須良男」を類例と見るならば、「香香背」の部分に対し、これをまとめて音仮名 と見てもよい。その場合には、「背」は「へ」または「べ」である(乙類)。


   ・「KWKB」「KWKBA」……usually m. , f. the planet Venus; a star, planet


 既に冒頭で述べた通り、厳密に言うならば、「怡途背」の「背」の箇所は清音か濁音か確定的ではない。そうなると、「香香背男」の「香香背」は、単純に「星」を意味するところのシリア語「KWKB」ではないか。セム系の言語には同じ言葉がある。その意味で、シリア語と特定することはできないが、諸々の箇所も含めて検討すれば、シリア語として流入した可能性が最も高い。「香香背」であるところの男が、仮に「KWKB」であるところの男であるとすれば、それは「星神」であるに違いない。「星神香香背男」に作るのは誠に理に適った話ではないか。

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