「勾大兄王子」の「勾」について

 日本書記の安閑天皇条に不思議な記事がある。安閑天皇の御名代について述べていると言うしかないが、どうして「牛を難波の大隅島と媛島松原に放つ」ことが「名を後世に伝える」ことになるのか、その点が分からない。安閑天皇の諱は「勾大兄」。他に「大兄」の附く諱としては「中大兄皇子」(天智天皇)などが知られる。名前たる名前は「勾」ということになる。注釈書は以下の通り。


   ・新編全集……「名代」のことであろうが、どういう関係か不明。
   ・岩波大系……名代の意に取れるが、この二牧の名がなぜ
             天皇に関係があるのか解釈できない。


 両者のうち岩波大系の注釈は難点がある。「二牧の名」が安閑天皇の名を残すことになる、という方向で固定的に理解しているが、ひとまず「牛を放つ」という事柄と、「何処に放つか」という事柄の両方を見据える必要があるだろう。その意味において、新編全集の「どういう関係か不明」というコメントは頷ける。


   秋八月の乙亥の朔に、詔して国々に犬養部を置く。
   九月の甲辰の朔にして丙午に、桜井田部連・県犬養連・難波吉士等に
   詔して、屯倉の税を主掌らしむ。
   丙辰に、別に大連に勅して云はく、「牛を難波の大隅島と媛島松原とに
   放て。冀はくは、名を後に垂れむ」とのたまふ。
   冬十二月の癸酉の朔にして己丑に、天皇、勾金橋宮に崩ります。時に
   年七十なり。                  (日本書紀、安閑二年条)


 摩登伽経や後の宿曜経では翻訳語として中国の宿名を流用し、「abhijit」(中国の織女に該当)に「牛」を充てるが、中国の二十八宿の「牛」は山羊座のβ星である。その山羊座をインドでは「mrga」(山羊)または「makara」(ワニ)と呼ぶ。たとえば宿曜経では山羊座を「磨竭宮」に作るが、「磨竭」は「makara」の音写である。この「makara」は「ワニ」といっても魚のような尾を持っており、我々が知っている「鰐」とは異なる(あくまでも想像上の動物)。日本の星曼荼羅のいずれを見ても、山羊座のポジションには、この「makara」が描かれている。日本の知識人は、中国の二十八宿の「牛」は「makara」である、という程度の知識は古くから持っていたはずである。摩登伽経については天平三年(731年)、舍頭諫経については天平十年(738年)の写経が正倉院文書で確認でき、それ以前の受容は確実である。特に摩登伽経は繰り返し写経されており、貴族層には比較的よく知られていたようである。
 「勾大兄皇子」の「勾」が「マガリ」であるとすれば、第二音節の清濁の違いがあるが、第一音節の母音が鼻音化することにより、第二音節が濁音化したということも考えられ、その場合、「マカリ」と「makara」の発音は略同である。もしも「勾」が「makara」を標示しているとすると、その「makara」が二十八宿の「牛」に該当する以上、「牛を放つ」ことが、まさに「勾」という名を後世に伝えることになる。つまり、二十八宿の牛宿を表すものとして「牛」が放たれた、と理解すれば、当該記事の意味合いは氷解するのである。


   (前略)此大三輪の神なり。此の神の子、即ち甘茂君等・大三輪君等・
   又姫蹈鞴五十鈴姫命なり。又曰く、事代主神、八尋熊鰐に化為り、三島
   溝樴姫に通ひたまひて、或に云はく、玉櫛姫といふ、児姫蹈鞴五十鈴姫
   命を生みたまふ。是、神日本磐余彦火火出見天皇の后と為る。
                     (日本書紀、神代上、第八段一書第六)


 ところが、古事記においては、「美和之大物主神」が「丹塗矢」に化身して「三島湟昨」の娘の「富登」(陰部)を突いた、とする部分を、日本書紀の一書においては、「事代主神」が「八尋熊鰐」に化身して「三島溝樴姫」に通った、とする。この場合、もちろん「大物主」と「事代主」の関係が問われるが、その一方、「美和之大物主」の「美和」に関し、「三勾」(古訓はミマカリ)が遺っていたから「美和」と名付けた、という記事が古事記にあって、非常に注目される。
 片方に「三勾之大物主」が「丹塗矢」に化身して「三島湟昨」の娘と交わる話があり、片方に「事代主」が「八尋熊鰐」に化身して「三島溝樴姫」と交わる話がある。ここで二つの伝承は異なるが、化身するもののヴァリエーションとして「丹塗矢」と「八尋熊鰐」が交替可能であるとすれば、「三勾之大物主」が「八尋熊鰐」に化身する可能性も潜在的には有り得たことになる。上記に述べたように、「勾大兄皇子」の「勾」が「makara」(ワニ)を標示しているとすれば、「三勾」の「勾」も「makara」(ワニ)を標示している可能性があり、その場合、「makara」(ワニ)を標示する「三勾之大物主」が「熊鰐」(どういう鰐かは分からない)に化身する道筋は自ずから明らかである。
 逆に言えば、こういうことだ。「熊鰐」に化身する可能性も潜在的には有り得た「三勾之大物主」の「三勾」であってみれば、この「三勾」の「勾」が「makara」(ワニ)を標示している可能性は十分に有る。「勾大兄皇子」の「勾」が「makara」(ワニ)を標示していることは御名代の記事から明らかであり、その場合、さらに加えて、「三勾」の「勾」が「makara」(ワニ)を標示している可能性が高まる。


[追記]但し「三勾」の「勾」の標示するものは、これに限るわけではない。「枯野船」について既に考察した(6月15〜17日)が、そこで述べた「勾股弦」の知識も背景にあるとするならば、「三勾」の「勾」は日時計における「針」に他ならない。「衝立船戸神」は「男根」であり、それは衝き立っているが、その衝き立っているものの地面に映る影こそが、「勾股弦」の「勾」である。そのことと、「三勾之大物主」が「富登」(陰部)を突くことは、大いに関係していよう(この点に関連しては、大和岩雄氏に詳しい論考がある)。

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