「讃・珍・済・興・武」は「翼・軫・角・亢・氐」か
典拠はともかく、たとえば学研新漢和大字典の【亢】の項を見れば、「すっくとたちはだかる」という意味が載っており、「抗」に当てた用法、と記されている。主たる意味として「たかぶる」「たかい」が挙げられ、他には「傲慢な態度をとる」という意味も載っている。さて、注意すべきは、以下の記述である。
(参考) 「興」に書き換えることがある。「興奮」
たしかに「興奮」も「亢奮」も同じ意味であり、特に違いは認められない。無論、どのような意味においても書き換え可能である、と言っているわけではないが、「興」と「亢」との間に意味の共通点があるからこそ、このような書き換えが起こる。そのことは間違いない。
・応神…………「星」(月宿の中国名。以下同)
・仁徳…………「張」
・履中「讃」……「翼」
・反正「珍」……「軫」
・允恭「済」……「角」
・安康「興」……「亢」
・雄略「武」……「氐」
・清寧…………「房」
・顕宗…………「心」
・仁賢…………「尾」
・武烈…………「箕」
・継体…………「斗」
・安閑…………「牛」……………「makara」(勾)
・宣化…………「女」
・欽明…………「虚」
ところが、安閑天皇(勾大兄皇子)が二十八宿の「牛」ならば、他の天皇は何なのか、という問題がある。まったく何も考えず、安閑天皇を「牛」に固定し、前後の天皇を並べ、前後の二十八宿を並べると、上記のように対応する。いわゆる倭の五王に関しては諸説があるが、「済・興・武」が「允恭・安康・雄略」に当たることは一般に了解されている。どういうわけか、「興」に書き換え可能であるところの「亢」に、倭の五王の「興」が対応する。
たとえば舍頭諫経は「長息宿」(Bharaniの意訳。胃宿)に関し、「其形類軻」(其の形は軻に類する)と説明するが、「軻」の箇所には本文異同があり、元本などは「珂」に作る。車偏が王偏に作られる例は必ずしも稀ではない。そうすると、「珍」と「軫」との対応も無視できない。また、「讃」にも「翼」にも「たすける」の意味があり、言わば書き換え可能である。
・「讃」……類聚名義抄に「タスク」の倭訓あり。
・「翼」……類聚名義抄に「タスク」の倭訓あり。
つまり、「倭の五王」として知られる「讃・珍・済・興・武」のうち、少なくとも「讃」と「珍」と「興」の三名については、「翼」と「軫」と「亢」の書き換え、という理解の仕方が成り立ち得てしまうのである。ここで重要なのは、御都合主義で対応させているわけではなく、日本書紀の安閑天皇の御名代の記事に従って、安閑天皇を「牛」とした途端に、このような対応が導かれるという点である。