なぜ「鞆の如き完」と説明されるのか
仮に安閑天皇が二十八宿の【牛】だとすれば、それぞれの並び順から、応神天皇は自動的に【星】ということになるが、実際に応神天皇が【星】であることを示す何らかの記述が記紀に見られるだろうか。これに関しては先ず、6月18日の稿を参照されたい。古事記に非常に端的に記述されている。
又、息長帯比売命を娶りて、生みし御子は、品夜和気命。次に、大鞆
和気命、亦の名は、品陀和気命。此の太子の御名を大鞆和気命と
負せし所以は、初め、生める時に、鞆の如き完、御腕に生りき。故、
其の御名を著けき。(仲哀記)
二十八宿の【星】は「師子宮」に当たり、大抵は、南に描かれる(高松塚古墳の配置など)。天皇の宮殿の南方は「大伴門」だが、応神天皇を古事記は「大鞆和気」に作る。その「大鞆」を「鞆の如き完」(トモの如きシシ)から説明する。「鞆の如き完」であるところの「瘤のようなもの」から「品陀」(XMθA)という別名を設定する。この場合に「品陀」は「鞆の如き完」に他ならないが、ここで「鞆の如き」は「完」(シシ)に掛かる修飾語だから、省略して言えば、「品陀」は「完」(シシ)である。この「完」(シシ)が「師子」との掛詞になっているとすれば、まさに、「品陀和気」(応神天皇)は二十八宿の【星】ということになるだろう。
逆に言えば、こういうことだ。古事記の応神天皇の命名説話から、仮に応神天皇が二十八宿の【星】(インドで言うMagha)であると考えてみると、記紀の天皇の並び順と二十八宿の並び順から、自動的に安閑天皇は【牛】ということになるが、その場合、日本書記の安閑天皇の御名代の記事に合致する。