古事記の「墨」は「黒」ではない

 古事記崇神天皇条に注目すべき記事が載る。「墨坂神」に「赤色楯矛」を祭り、「大坂神」に「黒色楯矛」を祭り、云々と出てくる。この場合は、「墨」に「赤色」(Syriacでは「SWMQA」)が対応し、「大」に「黒色」(Syriacでは「AWKMA」)が対応する。


   又於宇陀墨坂神、祭赤色楯矛、又於大坂神、祭黒色楯矛、(…以下略…)
   (古事記・中巻・崇神天皇条より)


 この話は、「SWMQA」(赤色)を略して「スミ」と言い、「AWKMA」(黒色)を略して「オー」(上代に長音表記は無いので、仮名表記は「オホ」)と言うからこそ、成り立つ話だろう。即ち、古事記において、「墨/大」の対(pair)は「赤色/黒色」の対(pair)を表す。


   此天皇(大雀命のこと)、娶葛城之曽都毘古之女、石之日売命、〈大后〉
   生御子、大江之伊邪本和気命。次墨江之中津王。次蝮之水歯別命。
   (古事記・下巻・仁徳天皇条より)


 そういう対(pair)が、もう1箇所ある。仁徳記の冒頭の帝紀的部分に出てくる「大江/墨江」の対(pair)である。ここで「大」は「黒色」を表し、「墨」は「赤色」を表す。そのことは、「大江之伊邪本和気」(履中天皇)の皇后が「黒比売」であることに見合う。


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 【補足】名前が「黒」である女性は、「吉備海部直之女、名黒日売」と出てきて、「葦田宿祢之女、名黒比売命」(これが履中天皇の皇后)と出てきて、「坂田大俣王之女、黒比売」と出てくる(以上の3人)。少なくとも皇后で「黒」は1人。

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「女鳥」も「隼人」も智恵を持つ

 異なる列音の母音が重なった場合、「相対的に狭いほうの母音」が脱落する(第一原則)。また、「CVCV・VCVCV」において、一番目のVと二番目のVが同じ列音の場合は、二番目の母音が三番目の母音より広くても、二番目の母音が脱落し、三番目の母音が残る(第二原則)。


   ・「ハヤ・ウマ」(faya・uma) > 「ハユマ」(fayuma)
   ・「ソホ・アガリ」(sofo・agari) > 「ソハガリ」(sofagari)


 このような母音脱落現象に即して、「曽・富・騰」を「音・音・訓」で読む場合、「ソハガリ」(sofagari)である。その一方で、「ソバカリ」(sobakari)は「ソハガリ」(sofagari)に転じ得る(濁音位置が前後する音転例は珍しくない)。「ソバカリ」(曽婆加里)ならば、「隼人」の名前として出てくる。


   ・「曽富騰」(sofagari)も「曽婆加理」(sobakari)も同じ
   ・「山田之曽富騰」は「曽婆加理」(隼人)に重なる(同一視できる)


 もちろん「曽富騰」を「音・音・音」で読む場合、「ソホド」(ここで「ド」は乙類)であり、こう読むのが最も素直である。併し、「ソハガリ」とも読める点こそが重要。「山田之曽富騰」は、「隼人」であるところの「曽婆加理」に重なる。こういう場合は、「山田之曽富騰」を「隼人」と見なしてよい。


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 ここで注意すべきは、「女鳥」が「速総別」(日本書紀は「隼別」に作る)と行動を共にするという点である。名前が「ハヤブサ」であるところの人は、別の意味において「隼人」である。その「速総別」(隼人)と行動を共にするのが他ならぬ「女鳥」(月宿の【女】を表象)ということである。


   ・「女鳥」(月宿の【女】を表象)は「速総別」(隼人)と行動を共にする
   ・摩登伽経の「女」は舍頭諫経の「耳聡」(聡耳)……兼知未然
   ・「山田之曽富騰」(隼人と見なせる)……尽知天下之事神


 既に述べた通り(7月19日)、月宿の【女】(耳聡)に関して、日本書紀で「兼知未然」と説かれる。それほどの智恵を持つ者として、月宿の【女】は在る。一方、「曽富騰」(隼人と見なせる)に対しても、まさに「尽知天下之事神」と説かれる。「女鳥」と「速総別」(隼人)が一緒に逃避行する脈絡が知られよう。

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「山田之曽富騰」(記)と「匝布屯倉」(紀)の繋がり

 まず第一に、古事記の「山田」は3箇所に限る。上巻に「於今者山田之曽富騰者也。此神者、足雖不行、尽知天下之事神也」と出てきて(1箇所)、その後は、下巻の二つの系譜記事に「春日山田郎女」が出てくるのみ(2箇所)。このような場合は、古事記というテクスト上で「山田之曽富騰」と「春日山田郎女」はリンクされていると見なければならない。


   ・山田之曽富騰……此神者、(中略)尽知天下之事神  (古事記・上巻)
   ・丸迩日爪臣──糠若子郎女──春日山田郎女     (仁賢記)
   ・春日之日爪臣──糠子郎女──春日山田郎女     (欽明記)


 一方、日本書紀に「匝布屯倉」(匝布は沙本に同じ)が「春日皇女」の名を表すことになる旨の記述が載る。これは、「春日」の訓みの一つに「沙本」が有ると考えれば、理解しやすいだろう(2010-07-18の《「沙本」という未詳語について》の項を参照)。その場合に、「曽富騰」の「曽富」という音形が「沙本」という音形に似ていることが無視できなくなる。


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 第二に、古事記の「日爪臣」を日本書紀が「日触臣」に作るということがある。後者は「比布礼」と訓め、古事記の「丸迩之比布礼能意富美」(日触の大臣)に重なる。その「比布礼能意富美」の孫に当たるのが「女鳥」である。そして、実のところ、その「女鳥」は月宿の【女】(耳聡にも聡耳にも作る)を表象する(同日の《古事記の「女鳥」について》の項を参照)。


   ・丸迩之比布礼能意富美──宮主矢河枝比売──女鳥   (応神記)


 「日爪」も「日触」も同じ。そういうことであれば、二つの「日爪」の系譜に位置づけられる「春日山田郎女」と、「比布礼」(日触)の系譜に位置づけられる「女鳥」(月宿の【女】と見てよい)は、血縁の関係にあると見なければならない。つまり、「春日山田郎女」と、月宿の【女】は、血縁を有するほどの関係性を持つということになる(そのように設定されている)。


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 結局、一方で「春日山田郎女」の「春日」は「沙本」と訓め、一方で「春日山田郎女」は「女鳥」(月宿の【女】を表象する)と同族である。ところが、摩登伽経の女宿を舍頭諫経は耳聡宿に作る。その「耳聡」(聡耳)に関し、書紀は「一聞十人訴、以勿失能弁。兼知未然」と説く。その内実は、ギリシャ語からの借用語である「SWPYA」(wisdomの意)に重なる。
 「山田之曽富騰」に対し、古事記は「此神者、尽知天下之事神也」と記述するが、一方で「曽富」という音形は「SWPYA」(wisdomの意)に通ずる。「曽富騰」に関しては、このほかに「久延毘古」という名前と「足雖不行」という態様が記されるのみであり、具体的な姿形は分からない。いわゆる山田の中の一本足の案山子は、実は「ふくろう」(飯豊)ということか。

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古事記の「飯豊」について

   於是、問日継所知之王、
   市辺忍歯別王之妹、忍海郎女、亦名飲豊王、
   坐葛城忍海之高木角刺宮也。
   爾、山部連小楯、任針間国之宰時、
   到其国之人民、名志自牟之新室楽。
   (……中略……)
   爾即、小楯連聞驚而、
   自床堕転而、追出其室人等、
   其二柱王子、坐左右膝上泣悲而、
   集人民作仮宮、坐置其仮宮而、貢上駅使。
   於是、其姨飯豊王、聞歓而、令上於宮。  (古事記・下巻)


 古事記は「二柱王子」(顕宗天皇仁賢天皇)が発見される過程を、このように描く。その「二柱王子」についてはともかく、今ここで特に注目したいのは、「小楯連」が「飯豊王」の臣下に位置づけられている(そのように描かれている)という点である。「小楯」は「飯豊」(ふくろう)の臣下なのである。


   ・「大楯」山部大楯連……「女鳥」の玉を取って妻に与える
   ・「小楯」(1)山部連小楯……「飯豊」(ふくろう)の臣下
   ・「小楯」(2)建小広国押楯……二十八宿の【女】に該当


 ここで二人の「小楯」(山部連小楯と建小広国押楯)を重ねてみれば、二十八宿の【女】に該当するものが、「飯豊」(ふくろう)の臣下に位置づけられている、ということである。即ち、臣下という関係性を用いて古事記は【女】を「ふくろう」(或る範囲の文化圏において智恵の象徴とされる)にリンクする。


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 ところが、古事記の「厩戸豊聡耳」に関し、日本書紀用明天皇元年)の細注に、「更名豊耳聡聖徳、或名豊聡耳法大王、或云法主王」とある。「聡耳」は「耳聡」(二十八宿の【女】に同じ)に作ることもあった。その「豊聡耳」に関し、やはり日本書紀推古天皇元年)に、次のようにある。


   母皇后曰穴穗部間人皇女。皇后懐姙開胎之日、
   巡行禁中、監察諸司。至于馬官、乃當厩戸、而不労忽産之。
   生而能言。有聖智。及壮一聞十人訴、以勿失能弁。兼知未然。
   且習内教於高麗僧慧慈、学外典於博士覚竫。並悉達矣。
   父天皇愛之令居宮南上殿。故称其名謂上宮厩戸豊聡耳太子。


 特に「生而能言。有聖智。及壮一聞十人訴、以勿失能弁。兼知未然」という部分は、「豊聡耳」の由来を説明する。「十人訴」を一度に聞いて失うことなく、よく弁え、「未然」(まだ起こっていないこと)を「兼知」する(予め知る)。そういう事柄が「聡耳」(耳聡)という文字列の内実である。


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 ナクシャトラの「Sravana」を摩登伽経は中国の宿名を流用し、「女」に作り、舍頭諫経は翻訳し、「耳聡」に作る。そもそも【女】(Sravana)は「耳聡」(Sravana)である。一方で、古事記は、その【女】(小楯)を「ふくろう」(飯豊)にリンクする。即ち、「耳聡」(たとえば兼知未然といった事柄)を「ふくろう」(或る範囲の文化圏において智恵の象徴とされる)にリンクする。
 「耳聡」が「ふくろう」にリンクされる必然性は、「ふくろう」が智恵の象徴であることによってこそ担保される。ということは、古事記は「ふくろう」を智恵の象徴と見ているということになるが、そのような見方の本源はギリシャにある。其処で、ギリシャ語「σοφία」(上智大学の英語名でもある。wisdomの意)に由来するシリア語(Syriac)の「SWPYA」が浮上する。その子音対は「SP」である。


━追記━(2010年10月15日)
 ところが、「飯豊郎女」は「伊邪本和気」の子である(古事記系譜)。古事記中、「邪本」という文字列は、二人の人物(袁邪本と伊邪本和気)の名前に出てくるのみ。前者は「沙本毘古」の弟であることから、いわゆる連濁(小・沙本>小邪本)と理解できる。故に、「伊邪本」に関しても、同様に連濁(伊・沙本>伊邪本)と理解できる(一つの理解の仕方として)。つまり、「飯豊」(ふくろう)は、「伊・沙本」の子ということになる。このことも含めて考えると、尚更、「沙本」と文字列により示される音形は、ギリシャ語の「σοφία」に通じるものと言えそうである(通じるものであることを念頭に置いて古事記は作られている)。


  http://d.hatena.ne.jp/ywrqa/20100718/1279400341

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古事記の「女鳥」について

 安閑天皇(広国押建金日)と宣化天皇(建小広国押楯)は兄弟である(母は「尾張連之祖、凡連の妹、目子郎女」と記される)。名前に共通して「広国押」と「建」を含むので、前者の名前の固有部分は「金日」、後者の名前の固有部分は「小楯」である(これは、テクスト論の基本的見方)。


   ・「金日」(安閑天皇)……「宇都志日金析」(阿曇連)に重なる
   ・「小楯」(宣化天皇)……「山部連小楯」に重なる


 古事記中、名前に「金」と「日」を併せ持つのは、二人しかいない(安閑天皇と「宇都志日金析」)。また、古事記中、名前に「小」と「楯」を併せ持つのは、二人しかいない(宣化天皇と「山部連小楯」)。その意味において、さしあたり、宣化天皇は「山部連小楯」に重なる(これも、テクスト論の基本的見方)。


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 一方、古事記におけるリンク(関係性構築、あるいは関連づけ)の方法の一つに、「大○○/小○○」という対(pair)を作る、ということがある。最も単純なものは「大碓/小碓」(後者は「倭建」とも言われる)である。この場合は、兄弟という関係性(つまり血縁)が設定されている。
 古事記の「山部」という文字列は3箇所で、最初の箇所は「此之御世、定賜海部・山部・山守部・伊勢部也」となっており、ここは普通名詞である。残りの2箇所は「山部大楯連」(単に「大楯連」とも出てくる)と「山部連小楯」(単に「小楯連」とも出てくる)である。二者は血縁関係と見るべきだろう。


   ・「山部大楯連」(大楯連)……物語において「女鳥」に深く絡む
   ・「山部連小楯」(小楯連)……名前が「小楯」(宣化天皇)に重なる


 その二者のうち、まず前者は、「其将軍山部大楯連、取其女鳥王所纏御手之玉釼而与己妻」と出てくる。物語において「女鳥」に深く絡んでいる。そして後者は、上述の通り、その名前が「小楯」(宣化天皇)に重なる(古事記中、「小」と「楯」を併せ持つのは、「山部連小楯」と「建小広国押楯」に限る)。
 ところが、安閑天皇二十八宿の【牛】ならば、宣化天皇二十八宿の【女】である(2009-06-21の記事参照)。ここで、「大楯連」が「女鳥」に深く絡むことと、「小楯連」の名前が【女】(宣化天皇)に重なることは、全くパラレルである。「女鳥」という人名は、二十八宿の【女】を表象するものとして在る。


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「春二月」(翼月)は「ܦܠܓܘܢ」と訓める

 日本の「秋八月」は「Bhādrapada」(室月)に当たり、セム系の文化圏の「AB」に当たる。大体それは太陽占星術で言う「おとめ座」に当たる。その「おとめ座」は死海写本に「B十WL十A」(いわゆる少女の意味)と出てくる(2009-08-21の記事など参照)。このことから、「Bhādrapada」(印欧系の言語)と「B十WL十A」(セム系の言語)は同根の言葉ではないかと推測される。しばしば「おとめ座」が「室女宮」に作られる点に注意すべきだろう。

 
   a)a portion, part.
   b)a division esp. of an army, a rank, order; (以下略)
   c)a division, difference of opinion, dissention, faction.
   d)duplicity, deception.  (Payne Smithのシリア語辞書より)


 ところで、右翼とか左翼とか言う時、この「翼」は、どんな意味だろうか。シリア語の動詞に「PLG」(to divide, part in two. 二つに分ける意)があり、その名詞の複数形に「PLGWN」がある(意味は上に列挙)。一方、日本の「春二月」は「Phālguna」(翼月)に当たる。訓めば「PLGWN」と訓める「翼月」が、他ならぬ「Phālguna」である以上、印欧系の「Phālguna」という語はセム系の「PLGWN」という語と同根と見ておくべきではないか。

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古事記の「天押帯日子」について

 古事記の「春」は16文字。そのうち、14文字は「春日」(古事記というテクスト上の地名)として出てくる。残りの2文字は「春山之霞壮夫」として出てくる。後者は「兄号秋山之下氷壮夫、弟名春山之霞壮夫。」というように、秋春の対(pair)で登場する。


  ・天押帯日子(春日臣などの祖。筆頭は春日臣)→春二月(翼月)
  ・大倭帯日子国押人……「AB」(室之秋津島宮)→秋八月(室月)


 順序は逆転するが、「天押帯日子」(隋書の「姓阿毎字多利思北孤」を念頭に置いた名前)と「大倭帯日子国押人」(いわゆる孝安天皇)の兄弟も、春秋の対(pair)で登場する。古事記においては、春と言えば、「春日」(16回中14回)であり、秋と言えば、「秋津」(16回中10回)である点に注意したい。


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 さて、二十八宿の【張】は「Pūrva・phālgunī」(舍頭諫経では「前徳」)に当たり、【翼】は「Uttara・phālgunī」(舍頭諫経では「北徳」)に当たる。また、「春二月」であるところの「翼月」のインド名は「Phālguna」(もちろん「phālgunī」の変化形)である(矢野道雄『密教占星術』などを参照)。


  ・「春日建国勝戸売──沙本之大闇見戸売──袁邪本王」
   (開化記の系譜記事より)


 ところが、古事記というテクスト上に、「春」(ハル)も「国」(クニ)も含む唯一の人物として、「春日建国勝戸売」が存在する。結果的に、この人物は「phālgunī」を表象する(ここで「春」は正訓表記に近い。「国」は借訓表記)。そして、その孫に「沙本毘古、袁邪本、沙本毘売、室毘古」がいる。


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 ここで「袁・邪本 > 袁邪本」(連濁)と考えられることから、同様に「伊・沙本 > 伊邪本」(連濁)と考えられ、その場合は、履中天皇の和風諡号である「伊邪本和気」は「沙本」に由来する名前ということになる。
 一方、安閑天皇二十八宿の【牛】ならば、履中天皇は【翼】である(この点については、2009-06-21の記事を参照)。つまり、「伊邪本和気」(これは「沙本」に由来する名前)は【翼】(Uttara・phālgunī)や「翼月」(Phālguna)に照応する。
 「沙本」に由来する名前が「翼月」(Phālguna)に照応するという事柄と、古事記の「沙本」の系譜が「春日建国勝戸売」(この人物は「phālgunī」を表象する)から説き起こされるという事柄は、まったくパラレルである。


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 以上を踏まえつつ、「天押帯日子」(隨書の「姓阿毎字多利思北孤」を念頭に置いた名前)について考えてみる。冒頭の通り、弟の「大倭帯日子国押人」(孝安天皇)が「秋八月」(室月)に照応し、兄の「天押帯日子」(阿毎・多利思北孤)が「春二月」(翼月)に照応する(無論、古事記が意図して照応させている)。
 ところが、舍頭諫経は「Pūrva・phālgunī」を「前徳」に作り、「Uttara・phālgunī」を「北徳」に作る。即ち、「phālgunī」を「徳」と漢訳する。したがって、「Phālguna」(翼月)についても「徳」と漢訳し得る。「徳」の一文字が「Phālguna」(翼月)を表し得るのである(もう少し平たく言えば、「徳」という漢字は「Phālguna」(翼月)と訓めるということ)。
 日本書紀の巻廿一(α群)に「厩戸皇子、更名豊耳聡聖徳、或名豊聡耳法大王、或云法主王。」(用明天皇元年)とあり、巻廿二(β群)では「豊聡耳」という名の由来が説かれる。最も流布した「聖徳」という称号の「徳」に対して書紀は説明を欠く。しかし、この「徳」が「Phālguna」(翼月)を表すとするならば、結局、古事記は意図して「天押帯日子」(阿毎・多利思北孤)を、「聖徳」という称号に照応させていることになる。


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 【付記】古事記において、「天押帯日子」(阿毎・多利思北孤)を祖とするのは、「春日臣」だけではない。「大宅臣」「粟田臣」「小野臣」「柿本臣」等も同祖。ここで「小野臣」が入っている点に注意したい。西暦607年、隋に派遣された(但し、書紀は「遣於大唐」と記述する)のは「小野臣妹子」である。その「小野臣妹子」は、隨書に出てくる「阿毎・多利思北孤」(一般に聖徳太子として知られる人物)の親戚であった。そのように古事記は主張しているのである(別段、驚くような主張でもないだろう)。古事記古事記の方法論で、歴史を描く。


 【追記】事実誤認があったので、訂正しておく。 日本書紀の巻廿一(α群)に「厩戸皇子、更名豊耳聡聖徳、或名豊聡耳法大王、或云法主王。」(用明天皇元年)とあるが、この中の特に「聖徳」という名辞についても、巻廿二(β群)に関連記事が載る。厩戸皇子が亡くなった際の、慧慈(高麗僧)の誓願の言葉として出てくる(推古天皇二十九年)。


  為皇太子、請僧而設斎。仍親説経之日、誓願曰、「於日本国有聖人。
  曰上宮豊聡耳皇子。固天攸縦。以玄聖之徳、生日本之国。
  苞貫三統、簒先聖之宏猷、恭敬三宝、救黎元之厄。是実大聖也。
  今太子既薨之。我雖異国、心在断金。其独生之、何益矣。
  我来年二月五日必死。因以遇上宮太子於浄土、以共化衆生。」
  於是、慧慈当于期日而死之。是以、時人之彼此共言、
  「其独非上宮太子之聖。慧慈亦聖也。」

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